内言のループ

 僕はよく寝る前に布団の中で小説を読む。最初のうちは小説の場面がなんとなく頭の中に浮かんで、人物や風景がなんか動いていくのを眺めている。でも、2,3ページくらい読み進めると、目は字面を追っているのだが、頭の中でコトコトと言葉が勝手につながっていく。僕は本をその辺に伏せて枕に頭をうずめる。頭の中で言葉の鎖がどんどんできていくのを楽しむ。

 こうした頭の中で勝手に渦巻いていく言葉たちは内言というらしい。別に他人の頭の中をのぞいたことはないので知らないが、きっと僕は内言が多い方な気がする。少なくとも、頭の中で内言がどんどん渦巻いていくのが楽しいと感じる。

 こうして内言は刻々と変化し、僕の様々な経験や思考のログを触発していく。頭の中でいろんなことがつながって、それが誰かと会話するときの種になったり、ツイートになったりする。

 しかし内言は同時にあまり思い出したくはないことも度々掘り起こす。思い出したくないことといっても、深刻さは様々で、恥ずかしい失敗、精神的に幼かったが故の対人トラブルもあれば、幼少期のあまり思い出したくない辛い記憶まである。

 それらの記憶は幾度となく想起される。それに正面から向き合うことは避けたいから、勝手に僕は同じような言葉をつぶやいて、嫌な記憶を処理したことにする。「そのようなお前は、消えてしまえ。」とか、「死にたい」とか。

 そうした反復練習の成果として、ひとたび内言が嫌な記憶に触れれば、思考はいつも同じ形態へと収縮する。そして「死にたい」とつぶやく。特に今辛いことがあるわけでもないのだが。

 このように状況を書いてみると、僕の中で「死にたい」というのは内言のBreak処理であるように思える。つまり、ふと嫌なことを想い出したときに、それにこれ以上向き合わないために処理を強制終了させる。その印が「死にたい」というつぶやきなのかもしれない。

 更に考えてみる。ここでBreak処理を持ち出したということは、内言が渦巻いているときはforとかwhileが回っていると考えられる。内言は自由奔放に僕の頭を駆け回り、いろいろな観念の連合を作っているけれど、それはごく単純な操作の繰り返しに過ぎないのだろう。Break処理は繰り返しを切断する。そして次の処理へ移る。

 「死にたい」と僕が思っているとき、僕は同じようなことの堂々巡りへと落ち込む。だとするとBreak処理が上手く回っていない。変なループがずっと回っている。While: Trueの状態だと言える。ここでTrueが出てくるのが気になるが。

 今のことろ、こうしたループから抜け出すためには外界の変化によって思考プロセスが強制的に中断されるしかない。内言のBreak処理をきちんと整備すればいいのだが、それで本当にいいのだろうかとも思っている。

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