見出し画像

鬱を経て分かる陽の貴い事

人は鬱に陥ると自身を守るため自然に外界を避けようとする、外界を避けると言うことは陽の光を避けると言うことになる。

陽の射さない部屋で薄暗く点けてある間接照明に照らされた本の字を漫然と追う、人の諍いに憎悪を駆き立てられ、心温まる物語に陰惨な「裏」を自ら付け足す、蛇足とはこの事。

まだ比較的短いであろう私の生涯の中で今のところ唯一愛した事のある人を思い出す、その人は「お天道様」を信じていた。

「お天道様」とはすなわち太陽の事で、お天道様が見ているからどんな時でも悪い事をしてはいけない、お天道様が見ているからいつか必ず報われる、度々そう言っていた。

その人は宗教家であると言う事でも特別信心深いと言う事でもなく、親の何気ない教えからお天道様を生きる上での支えにしていたのだと思う。

快く思わない環境から人を遠ざけようと退避を促す様に、絶望した人が自ら命を絶つ様に、人の心はその持ち主に対して逃げ道を提示する様に出来ている。

私は最後の撤退路を目前とした時「お天道様」と言うワードが頭をよぎる様になった、その度私はよたよたとおもむろに玄関から外に出てみる、陽の光が体に降り注いで、少しだけ終着点から後戻りした様な気持ちになり、諦めかけていた事に再び向き合う。

向き合ったとて後ずさりすればまた同じことなのだけれど、暫くの間は進むべき道に向き合う事が出来る。

薄暗い間接照明に照らされたものと陽の光に照らされたものには、光の反射以上になにか貴いものを感じる、それこそが「お天道様」なのではないかと私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?