愛す
"その人のことを信じようと思いますっていう言葉はその人自身を信じているのではなくて
自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていること
だからこそ人は裏切られたとか、期待していたのにとか言うけれど
別にそれはその人が裏切ったとかいうわけではなくて
その人の見えなかった部分が見えただけ
その見えなかった部分が見えたときに
それもその人なんだと受け止められる
揺るがない自分がいる
というのが信じるということ"
これは芦田愛菜ちゃんがいう"信じる"です
私は基本的に人を信じることに抵抗があります
結局は赤の他人。最終的には裏切る。
そんなふうに思います
裏切られたときに傷つくのは自分なんです
信じる気持ちが強ければ強いほど裏切られたときの悲しみや憎しみはより大きくなります
だったらはじめから誰かを信じるなんてしない方がいい、そう思っています
深入りしない、みたいなことです
ですが、愛菜ちゃんのいう"信じる"はすごく腑に落ちます
何度聞いてもその度に納得させられます
これなら私もきっとたくさんの人を信じることができるはず!って思います
また、それと同時に私の考える"信じる"ってなんだろうって考えさせられます
私の出した答えは
信じるっていう言葉は自分を信じるためにあるもの。です
自分自身のことを自分が信じてあげるこというのかなぁって。
自分のことを信じるってとっても難しいことだと思います
でも、356日24時間向き合い続けている人って
自分しかいないと思うんです
そんな四六時中一緒にいる人が自分の味方でいなくてどうするんだ!って
自分の考えたこと、感じたこと、決めたこと、
信じてあげなくてどうするんだ!って
だれを信じていいのか。
だれかを信じていいのか。
分からなくなっちゃう私ですが、
せめて自分のことだけは
自分を信じてあげたいです。
肯定してあげたいです。
受け入れてあげたいです。
愛してあげたいです。
きっとそれが私の"信じる"だから。
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