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ドアの向こうへ vol.24

それぞれの新しい道へ

 あっという間に半年の月日が過ぎ、母の一周忌の4月になった。
今月から新たにW大学の落語研究会が主催する高座が始まった。今回で最終回の三度目のそれも無事に済んで自宅へ帰ってきた。
明日は母の命日の22日だ。
「そう言えば、お母さんと逢ってなかったなぁ・・・、お父さんはどうしているだろう」忙しさにかまけて、忘れていたわけではないけれど、時が過ぎてしまった。

 「あっ、お父さん、しばらく、ごめんねずっと連絡もしなくて」その夜、父へ電話をした。
「おぉ、由美子、元気か、気にすんな、こちらは大丈夫だよ。俺も、今新しいことを始めてさ、忙しくしてんだよ」
「えぇ?新しいこと、何を始めたの、お父さん」寂しくしているばかりと思っていたから、張りのある父のその声に驚いた。

 「へへへ・・・実はさ、あの後、仕事を辞めて、落語カフェっていうのを始めることにしたんだよ」
「え?落語カフェ?」
「そう、俺も由美子の姿をみて触発されちゃって、もう一度、落語をやってみようと、と言っても、今からプロへは、なれないから、でも、落語好きは結構多いから、大学時代の同級生が商店街の会長で、それで彼に聞いたらさ、シャッター街で空き店舗になった物件を貸してくれることになって、そこからとんとん拍子に話が進んで、その準備やらで忙しくしてたんだ」

 父が落語カフェを、すごいな、
「それで、清子が向こうへ行った日、明日、いよいよオープンするんだよ」
と、父はとてもうれしそうに言っている。
「お父さん、すごいね、落語カフェ、面白そうだね。そしてオープンを命日にするなんて流石って感じだね、お母さんきっと行くと思うよ」
「だよな、清子、来るよな、由美子もそう思うだろ」
すぐにでも飛んで行きたいが、明日は、高座が入っている。

 「お父さん、ごめん、お手伝いできなくて」
「気にすんな、由美子はそこで必要とされているんだから、それに応えて行けばいいと思うよ、清子もおそらく、同じことを言うとおもうから」
「ありがとう、お父さん、お休みが取れたら、行くからね」
それから、父は悩んでいる時に母がまた出て来て、その時のことなどを話してくれた。
「じゃぁ、お父さん、身体に気を付けてね。落語カフェ、必ず行くからね」
「おぉ、ありがとう、待ってるよ、由美子も気をつけてな」

 父は確か、今年で50歳になるはずだ。
大体はそのまま定年まで過ごし安寧な人生をと舵をとる年代なはずなのに、決めたら突き進む、こんなところが、私も似たんだろうなと、いまさらながら思ってしまった。

 翌朝「師匠、おはようございます」玄関で声をかけた。ちょっと間があり
「はいはい、ちょっと待ってね、今開けるわね」と勝平の声が聞こえ、にこやかに開けてくれた。
「さくらさん、早いわね、おはようございます」
居間へ向かいながら、W大の研究会もう慣れたかしらと聞いている。
「はい、今回で三回目の最終日で無事に済みました。ありがとうございました、高座料です」と言って、渡されたままの封筒を勝平へ差し出した。すると
「あぁ、さくらさん、それは良いのよ、さくらさん、受け取って頂戴」

 「え、師匠、それはいけません、兄弟子さん達もこうしていたことを見てきましたから」
「兄弟子たちは、ここに住み込みだったから、まぁお家賃や食事代として、いただいていたわけ、さくらさんは自宅から通っているし、いろいろかかるわけだから、そのまま受け取って頂戴ね」
「いやぁ、だって私、まだ、前座ですし、それでは兄さんたちに申し訳ないです」
「さくらさん、流石だわねぇ、ちょっと待ってね」
勝平は立ち上がって、稽古場との仕切りの襖を開けた。

 「はい、お前さんたち、さくらさん、こう言っているよ」
私は驚いた、襖の開いたそこへは、兄さんたちが勢ぞろいしていた。
「兄さん達、おはようございます」立ち上がり座り直して挨拶をする。
「おはようございます。二つ目、三章亭さくらさん」と全員が口を揃えて、こう言った
口を空けたまま、ぽかんとしてしまった
「おやおや、相変わらず、前座になった時とおんなじ顔をするねぇ」
「そう、今日から、さくらさんは、二つ目を名乗ってくださいね、兄さん達も良いわよね」
「はい、師匠。全く問題ありません」と年長の平蔵が言った。

 私はまだ事情が呑み込めていないけど、
「ありがとうございます、師匠、兄さん達」と深々と頭を下げ
「三章亭さくら、今日から二つ目を名乗り、ますます精進して参りますので、よろしくお願いいたします」
兄弟子たちはこれに笑顔と拍手で応えてくれた。
「はい、兄さん達、集まってくれてありがとうございました」
師匠の声で兄さんたちは散開して行く。私は改めて兄さん達へお礼をしながら見送った。

  落ち着いたところで、
「ということなので、その研究会のお手当は、さくらさんが受け取ってくださいね」
いいのだろうか、こんなに、良くしてもらって、ずっとその言葉が頭の中で響いている。
「さくらさん、どうしたの?」
「あ、いえ、こんなに良くしてもらって、バチが当たるんじゃないかと」
「何を言ってんのさ、そんなことあるわけないでしょ」
「さくらさんが、毎日懸命に稽古し、高座へ通う姿を兄さん達もちゃんと見ているんだからね。胸を張ってこれからも進んで頂戴ね。
兄さん達と今朝から集まって二つ目へ推す話をしていたところへ、さくらさんが、たまたま早く来たから、ちょっと思考を凝らしたってわけ」
「師匠、本当に、いつも、ありがとうございます」
「それぞれの席亭へは、私の方で連絡入れておくからね」
「お手数おかけいたします。ところで師匠、父がですね」

 「えっ、どうしたの、お父様、どこかお悪いの?」
「いえいえ、師匠、まったくその逆で、元気もりもりで、今日から落語カフェを始めるんです」
「あら、ごめんなさい、早とちりしちゃって。え?、落語カフェ、こりゃまた、しゃれたことをお始めなさるのね」
「そうなんですよ、仕事を辞めて、地元の空き店舗を借りて始めるんです」
「父も咄家になりたかったから、今からプロには、なれないけど、大学時代の落研仲間へ声をかけたりして研究会を開いたり、DVD鑑賞会を企画したりしてやるそうです」

 「あら、すごいわね、お父様、さくらさんに触発されちゃったかしら」
「そうみたいですね、あと、そのことで、なかなか踏ん切りがつかず悩んでいたら、母が出てきて」
「えぇ、またまた、お母様、出たの」と言って勝平は笑っている。
「そう、またまた出て来て、人生一度っきりなんだから、やるなら今よって、父の肩を叩いてくれたらしいんですが、何せ幽霊ですから、叩いた手は、肩を通り抜けたらしいです。そこで、二人で笑って、決心がついたそうです」

 「お母様、やっぱり、素晴らしい方ね」
「ありがとうございます、そして、カフェを始めるために、喫茶店へ通ってコーヒーの淹れ方も教えてもらったそうです。そこは、偶然にも私が高校時代にバイトをしていた喫茶店だったんです、喫茶店の近くに公園があるんですけど、会社帰りに、その公園のベンチに座り、会社を辞めるか辞めないか悩んでいる時に、どこからかコーヒーの香りがしてきて、それをたどっていったら、喫茶ひまわりだったらしいんです」

 「まぁ、偶然なの、そんなことって、あるのね」
「はい、父は私が喫茶店でバイトしていたことは知っていましたが、その喫茶ひまわりだとは、知らなかったみたいで、何度か通っているうちに、話の流れで、娘がバイトしていたなぁと言うことから、その喫茶店だったと分かったそうです」
「縁て不思議ですよね、師匠」
「そうね、えにし、って不思議だし、とても大切なことね」
師匠の家の中庭で満開の桜が風に揺れていた。

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