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ドアの向こうへ vol.23

父への思い、仕事への思い

 あくる日、実家で過ごす最終日の日曜日の朝、師匠へ連絡を入れた。
「おはようございます、師匠」
「おはよう、さくらさん、ゆっくりできた」
「はい、父とも、ゆっくり話もできました。この後11時過ぎの電車で、そちらへ戻ります」
「どう、お父様は元気にしていなさるの」
「はい、元気です。お料理など、身の回りのことは、結構器用にこなしていました」 
「あら、そう、それは良かった・・・もう少しゆっくりしてもらいたかったけど、今夜からってことで、鍵本の席亭に待ってもらってたから、すまないねぇ・・・」

「いえ、師匠、済まないなんて、恐縮しちまいます。お気遣いありがとうございます、またよろしくお願いいたします」と言って、その高座の予定など少し打ち合わせしてから電話を切った。

 「じゃぁ、お母さん、またね」戻る前に、もう一度母の前で手を併せた。
「由美子、これ、師匠と兄弟子たちの皆さんで」と父が手土産を渡してくれた。
「ありがとう、お父さん、またね、なかなか来れないけど、元気でね」
「うん、ありがとう、由美子も元気でな、あまり無理せずにな」と、言いながら外まで見送ってくれた。

 名残惜しいけど我家をあとにした。途中で振り向いたら、父はまだ見送ってくれていた、大きく手を振ったら、同じように返してくれた・・・その姿が涙で滲んでしまった。
「またね、元気でね」と心で叫んだ。

 S市のJR駅は月曜日の朝で通勤の人たちで結構混雑していた。駅舎に入り自動改札を抜け都内方面のホームへ向かうコンコースで、後ろから声をかけられた。
「由美子さん、おはよう」
振り向くと、美樹だった。
「次の都内行きの特急に乗るの?」
と、掲示板を指さした。

 「あ、美樹さん・・・おはようございます、そうです、あれ・、美樹さんも、これで?」と私も指さす。
「そうか、もし良かったら、ご一緒しませんか」と美樹が言ってくれた。ちょっと寂しくなっていたから、嬉しかった。
「わぁ、ありがとうございます。またご一緒できるなんて、嬉しいです」ホームへ上がると、ちょうど電車が滑り込んできた。中ほどの車両のドア付近の椅子に並んで座った。車内はあっという間に、通勤通学の人で満杯になった。

 私は電車は苦手だった。乗り込んだ瞬間からその人たちは無機質な銅像のように表情を出さず、外界から身を遮断するようにイヤホンを着けスマホに視線を落とす。
この無関心な空間がとても嫌になってしまうからだ。そして、自分も同じようにしていることが、もっと嫌だったからだ。
だけど、今日は違う、話相手が隣にいてくれる。

 「美樹さん、今日はどちらまで」と聞いてみた。
「前から参加したかった、研修へ行くの」
と言う。
「研修?ですか・・・」
「そう、これからやりたいことの為にね」と爽やかに笑ってから
「私ね、自分もそうだったからなんだけど、引きこもりの支援をする仕事を出来ないかなって考えたの」
「引きこもりですか」
「そう、一言で言えないほど引きこもりの経度から重度まであるし、いつ自分がそんな状態になるかわからない、そんな生活環境だから・・・」

 美樹は、私に分かり易いように、引きこもりの内容を説明してくれた。
「でも、きっかけは、ひまわりのマスターが心底、私の話を向き合って聞いてくれたこと、そして、父とも仲直り出来た事かな」
「美樹さん、仲直りできたんですね」
「そうなの、そうなるとあっさり出来ちゃった」

「美樹さん、私、昨日、父が泣いている姿を見てしまったんです・・・私の前では父は弱いところを見せないようにしているんだなと、思うと切なくなってしまいました」
「そうよね、一番大切な方を亡くされたんですものね、寂しいと思うわ・・・」
「父の事が、とても心配なんです。充分大人だし、強いと思うけど、昨日のように、突然さみしくなった時にそばにいてあげられたら良いんじゃないかなって思ってしまうんです」
「そうよね、解るわその気持ち」
「でも、帰ってくるとなると、咄家を辞めなければならないと思うし、まだ道半ばで辞めるのも悔しいし・・・何とも、もどかしくなってしまいます」
「そうなんだよね、どちらかを選ぶ時って、いろんな場面であるけど、難しいわよね」

 そこで、しばらく私たちは黙り込んでしまった。車内アナウンスが次の停車駅を告げた。
電車が止まり、またたくさんの人が降りそして、それ以上に乗り込んで来た。
私は、この人たちの中に、大切な誰かを亡くした人、幸せ絶好調の人、ほんの些細なことで、引きこもってしまう人と様々な境遇の人たちが存在するのだろうと、一様に表情のない人たちの顔を見てそう思った。

 美樹が
「今日から寄席へ出るの?」と聞いて来た。
「はい、鍵本演芸場で夜7時から高座へ上がります。美樹さん、もしよろしければ、観にいらしてください」
「そうね、その時間だと行けると思うわ」
「ありがとうございます。お待ちしています。師匠にも逢って頂きたいし・・・」
「三章亭勝平師匠でしたよね?」
「そうです、とてもやさしくそして厳しい師匠です」

 車窓から、高層のビルの群れが見えだした。
車内アナウンスも終点駅への到着時間を告げ、各路線への連絡列車と番線案内も告げている。たった1週間しか離れていなかった都内だけど、なんとなくこのビルの群れも、懐かしく感じている自分に、少し驚いた。
到着ホームへ着き電車を降りる。
改札へ向かって私たちは歩きだした。
 
 美樹が、
「私は西北線で会場へ向かうわね、じゃぁまた夜にね」
「はい、ありがとうございました。私は、東部港線の地下鉄で師匠の所へ向かいます。それではまた夜に・・・」
にこやかに笑顔を交わしてそこで別れた。



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