観客席にて
今の先生についてから始めての、発表会に参加してきました。
昨年の春にもあったのですが、弾きあい会に近い略式のもので、服装にもそれほど気を遣う必要がなかったのですが、
今回のは先生はドレス姿でゲスト演奏もあり、ご家族やお友達同伴で参加できる、丸一日かけて行われるそこそこの規模のものでした。
私は自分の演奏の順番が早く、午前中に終わってしまいました。
演奏が終わった生徒は、観客席でご家族やお友達と一緒に聞いてもいいことになっています。私は誰もつれてこなかったので、一人で隅っこの席で午後一杯、演奏を聴いていました。
観客席は音楽関連の人もいてけっこう華やかです。
演奏を終わった人たちはご家族やお友達と一緒で楽しそうにしています。
いいなあ、私も誰か連れてくればよかった。
来年は姉か主人を連れてこよう、、
なんて思いながら皆の演奏を聞いていると、
斜め前に、年配のご夫婦が座りました。
服装や雰囲気から、音楽関連の人でないことは明らかです。
誰だろう、と一瞬思ってすぐにわかりました。
誰かのご両親が、娘さんか息子さんの演奏を聴きに来ているのです。
そうか、両親に来てもらってもいいんだ、
と思った瞬間、私の中のある考えが浮かび上がりました。
私の両親は、聴きにきてくれないのだろうか、という。
そして目の前のご夫婦の姿が、まるで後光が差したように黄金色に輝いて見え始め、、
自分の両親のように思えてきました。
発表会に両親を招待して自分の演奏を聞いてもらうなんていう素晴らしいことは子供の時だけ、もうかなわないと思っていたけれど、
それをかなえている人がこの中にいる。
そして両親は聞いてくれたんだろうか、こっそり聴きに来てどこかにいるかもしれない、
というような支離滅裂な考えがやって来ると共に、実に感情的なスイッチが入ってしまい、
聞いてくれただろうか、褒めてもらえるんだろうか、
という思いが止まらなくなってしまいました。
うらやましいというか、切ないというか、
感情が全開、要するに子供にかえっているのです。
心理学的な言葉で言うと、インナーチャイルドが出て来た、という状態です。
輝いて見えたご夫婦は2時間ほどいて、気が付くといなくなっていましたが、
母の形見のブルーグレーのジャケットに、父からのプレゼントである銀線細工のブローチをつけた私は、
この心理状態のまま、観客席の隅で夕方暗くなるまで一人で過ごしました。
私は既に両親二人とも見送っています。
母が亡くなったときに「インナーチャイルドが出て来る」はさんざん経験したのですが、
一度出てくると、短い時で2,3日、長ければ半年くらい引っ込んでくれなかったりします。
今回はもう1週間になりますが、まだ続いています。
感情と言っても甘酸っぱく切ない心地いいものなので、このままでもいいかなとおもったりします。
私は自室のピアノの上の壁に、両親の写真を置いています。ピアノが弾けるのは自力のみではない、3歳からレッスンに通える環境を与えてくれた両親の力によるところが大きいと思っているからです。
父は晩年、練習してショパンを弾きたいと切望してましたが、ついにかないませんでした。
私の演奏は、両親の演奏でもあるのです。
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