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人生の節目を迎えて

東京にいる実父が、コロナが重症化して入院していたのですが、
昨日夜中に、亡くなりました。

高齢なのでもう長くないのはわかっていましたが、
まさかコロナで亡くなるとは思いませんでした。

・・・・

近くに住んでいる弟も、誰も臨終に間に合いませんでした。

母が亡くなったときもそうでしたが、
家族が側にいると未練を感じて逝けなくなる。
それで真夜中にひっそりと亡くなる人が多いそうですが、
本当にそうなのだと思います。

亡くなる3日前、主治医から
「このままではあと数ヶ月の命。
延命装置を付ければ寝たきりで生き続けることができますが、
どうしますか?
本人に決定能力がないので、ご家族が決めてください」
と言われました。

姉も弟も私も、どうしたらいいかわからなくなりました。

・・・・
私は、父に自分で決めてもらえないだろうかと思いました。
どうやって父の意思を知ろうかと試行錯誤していましたが、

父は自分で決めてくれました。
延命装置はつけないで、この世を卒業すると。

・・・
母の時のことが、しきりに思い出されます。

母は余命2週間くらいになったあたりから、私と「心で会話」することができ、
主治医が別室で家族に説明する病状や余命のことなど、
本人に伏せられているはずのことを、とてもよくわかっていました。

死期が近づきあの世とこの世を行ったり来たりするようになると
そんな風になって行くのだということが、
母と同調していた私にはよくわかりました。

このとき、母イコール私であり、
この世を卒業していく母が体験することを、最も近くでかい間見るという、
母の死の前後数か月は、私の人生でも最重要にして、
全く未知のものが流れ込んできた、驚きの期間でもありました。

おそらくそれは、母と私が特別に繋がりの強い生まれつきだったことによるもので、

父の場合はわかりません。

ですが父の抜け殻が傍らにまだある今、この瞬間は、
「親を見送る」という、2度と体験することのない、
貴重な節目の時であることは確かです。

どういう意味で貴重なのか?
それが理解できるのは、

私自身が人生の終盤に差し掛かった時であるかもしれません。


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