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掌編小説「雨宿り」

大学3年生のときにゼミの課題で書いた掌編小説を、ふと思い立ってnoteに掲載します。



他にもいくつか大学3年生のときに課題で書いた小説があって、全部お気に入りなので、いつか載せます^^(でも小説を書き始めたら詩が書けなくなってすぐに書くのをやめました)



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 軒下で雨宿りしていると、声をかけられた。リーと名乗られる。
「キンパツに染めてきた帰りなのです」
 リーは気さくに話しかけてくるのであるが、わたしはどの部分がリーの言うところのキンパツにあたるのかわからず、とりあえず「はぁ」とフィラメントを震わせた。
「あなたのそれはため息のような音ですね」
 はあ。
「雨音に紛れた、若い女のため息の音です」
 はあぁ。リーははあはあ言うわたしに少し黙った後、向き直った。お名前、なんて言うんでしたっけ。三回目の問いかけをうける。
「山田です」
 これは、まともに答えられる。リーは「山田さんですか」と言うのだったが、その言い方というのが好意的かというとそうでもなく、どちらかというと不思議がっているというか、訝しんでいるような感じなのだ。
「山田さんということは、日本人ですか」
 僕は韓国人で、日本語を勉強するために日本に来ました。聞いてもいないのに、リーは言う。なるほどリーは韓国人。で、あるならば。
「わたしは日本人です」
 雨は止む気配がなかった。リーは軒下から身を乗り出すようにして空を眺めてチッと音を立てた。わたしも彼の真似をして、ガラス球をマッチでちんと叩いた。
「暗くなってきました」
 はあ。わたしの周りは暗いということがないのだ。リーもそう思ったのか、でも今はあなたが明るいです、と彼自身もうっすら光りながら言った。リーの表面に水分が現れ、それが光っているように見えるのだった。わたしの光を反射しているのか。セロファンを伸ばして雨をとり、口金にくっつけてみる。リーは白くてつるつるしている。国に置いてきた、我が子を思い出す。
「僕のお母さんを思い出します」
「わたしは老いていますか」
 いいえ、いいえ、とリーは左右に揺れる。
「母もそういうワンピースを着ていたのです」
 わたしを指差して、黒い、花柄の、ワンピースとリーは告げたが、その言葉のどれも何かが少しずれる感じで、わたしのフィラメントまで届かずに消えてしまう。だからわたしはまた「はあ」と震えるしかなかった。リーの表面の水分が一層輝いたと思ったら、雨が止んでいた。沈む直前の夕日がわたしより明るくリーを照らすので、なんだか遮ってやりたくなった。

 夜、わたしは布団の中に潜り込んで、考えた。リーのことだった。リーの表面にくっついた暗闇が二つ、わたしに光線を放っていて、そのまばゆさというか強さみたいなものが、死んだ夫に似ていた。フィラメントがちかちかと弾けてわたしのアンカーを照らすので、あ、ときめき、とクリプトンが囁いたけれど、わたしはうそよ、と囁き返した。夫のことを思い出そうとする。彼もリーのように、白くてつるっとしていた気がするけれど、セロファンに遮られた光が赤や緑に部屋を照らすので、白という色のイメージも、黒い、花柄の、ワンピースの意味も溶けて消えてしまう。ここのところ、こうやって色々なことを忘れ続けているような気がする。
 口金を緩めると部屋は少し薄暗くなる。夫も死ぬとき、こんな風に苦しかったかしら。この口金の嵌る先が何処かにあったはずなのに、ずいぶん遠くに来てしまったから思い出せない。光はどんどん弱まって部屋は真っ暗になり、黒い、花柄の、ワンピースをわたしに想像させる。ぎりぎりまで口金を緩めてから締め直して、わたしははあ、はあ、とフィラメントを震わせている。

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