私の名前は寄る辺ない

今年もまた会社に新卒が入ってきた。人見知りの私は今後も薄かろうとも関係が続くであろう知らない人間が苦手なので頭を掻き毟りたくなる衝動にかられるのだが、それはさておき。
その新卒のうちの1人は私と同じ春川という名字だった。同じ名字で同じ女性。同じ名字だなんて大したことではなく、世の中の佐藤さんや高橋さんに言わせればに日常的すぎて取るに足らないとことなのだと思うのだけど、同じ名前の人というのは、私には少し思い当たる記憶があって、時々それを思い出してしまう。

もう随分古い記憶で、その時、私は幼稚園の年少クラスに通っていた。そのクラスには私の他にもう一人「まほろ」という名前の女の子が居た。クラスで同じ名前の子どもは私と彼女だけだった。同じ字を当てたのかは覚えていないけれど、幼稚園生に漢字が適応する訳もないので、グループ分けに記入された黒板や時折配られるプリントなんかには全員漏れなくひらがなの名前が載っている。彼女の名前も「まほろ」と書いてある。もちろん私の名前も——と言いたいところだけど、私だけは少し違った。
私の名前だけはいつも「まほろ(は)」と書かれていたのだ。
この表記が何を意味するのかなんて、5歳の子どもにだって当然分かる。同じ名前の子どもを区別するために私の名前の後ろに書かれた名字の春川を指す(は)の文字。
これが無ければ困るのは私だ。グループ分けされた時に、自分のグループが分からなくなってしまうから——と自分に言い聞かせて、私はそのまま黒板に書いてある「まほろ(は)」の文字を呆然と眺めていた。

けれど、心の内はやはり腑に落ちないものだ。
というのも、名前の後ろに名字が付いているのは私だけだったからだ。もうひとりのまほろちゃんはみんなと同じように「まほろ」と名前だけが書いてあって、私だけが名前の後ろにはいつも(は)と書いてあった。
もし、同じような子どもがもうひと組でもいれば、その子と同じだと安心して、大して気にしなかったのかもしれない。けれど自分だけみんなと違うという鬱々とした気持ちは、なんだか仲間はずれにされたような、私とみんなの間にくっきりと線が引かれたような妙な疎外感があった。

これは私の推測だが、担任の先生は何の気なしに(は)と書いたに違いない。最早合理的とも思うこともなく、然るべくして(は)と書いたのだと思う。大人からしたらなんてことない、取るに足らないことなのだ。それが当たり前なのだ。

けれど、5歳の私はそのたった一文字で輪の中から除け者にされたような、どこに身を寄せたらいいか分からないような不穏な気分になった。同じ名前の子どもを区別するのは分かる。でも、それならふたりとも同じようにしてくれたらよかったのに。私だけというのは不公平じゃないのか——。
きっと先生は自分の便宜上、都合上、もしくは何も考えずにそう書いていたのだろうけど、幼稚園という未だ嘗てない社会という世界に放り込まれ(よく言えば)妙に繊細だった私には最早それは差別だった。

子どもには訳の分からないわがままを大人に言ってもいいという権利があって、同時にそれが許される権利もある。
それは大人になってから分かったことであって、結局私はその事について何も言うことが出来なかった。先生は勿論、母にも言えなかった。一丁前に傷付きながら、なんとなく自分でもつまらない事でいじけているような覚えがあって、こんな事を言っても相手にされないのではないかと恐れていた。
思えば、名前に名字を付けることを先生に一言断りを入れられた記憶も無かったので、当たり前のように私だけ区別されたと思い込んでいて、そんな私なんかがつまらないわがままを言ったら、きっと面倒くさそうな目で見られるに違いないとずっと思っていた。

子どもと言えど人間なので、ヒエラルキーは確かに存在する。懐くと言えば聞こえはいいが、先生という子どもの世界での権力の象徴のような存在に気に入られようとする子どもだって当然存在するし、意図せずとも甘え上手な子どももいる。周りのことなど省みずに我を通す子ども、対で我関せずでずっと自分の世界に住んでいる子ども。そして相手にどう思われるか、嫌われないかという考えが何よりも先に来てしまう子ども。
私は幼稚園の図書室にあった『素敵な三人組』の絵本がとても読みたかったのに、ヒエラルキー上位の子どもたちがいつも独占しているのを見て「その本貸して」の一言がどうしても言えず、やっとその絵本にありつけたのは小学校に上がってからだった。仲の良い女の子と気になっている男の子が同じだと分かれば、「まほろちゃんは誰が好きなの?」と聞かれた際は当たり障りのない、特別すきでもない男の子の名前を言った。
だから結局、毎度何かにつけて「まほろ(は)」という文字を目にしても、それをじっと見ては悶々とすることしか出来なかった。

「どうして私だけなの。同じ名前なら違うまほろちゃんにも名字を付けて書いてよ」。
あの時、先生にそう言えていたら、大袈裟に言えばもしかしたら私の人生は少しは変わっていたのかもしれない——なぁんてね。実際問題、そんなに上手くいく訳ないのだけど、やっぱり結果論なので「あの時ああだったら、こうだったら」と思ってしまうこともあるのだ。
けれど、少なくとも同じ名前の新卒を見て、思い出す記憶は無かったのかもと思う。
もしも、あの時名前のことを先生に言えていたら。今思えば、もし内心面倒だと思っていてもあの先生ならそれを表に出さなかっただろうし、子どもの言うことだと思って十中八九、書き直しをしてくれただろうと思う。あの先生はそういう人だったと思う。

ともあれ、以来、私は自分の名前に対して妙な苦手意識を持っていて、名前を呼ばれたり黒板に記載されていたりなんかするとやたらと緊張してしまったりした。加えて、幼稚園にいたまほろちゃんには当時子どもらしい意地悪をされたことも相待って、同じ名前の女の子にも少し苦手意識があるのだ。特別自分の名前が嫌いなわけでもないけれど、「すきだ」と言うには真心が足りないような、少し後ろめたい気持ちがいつも見え隠れする。
とは言え、幸いと言うべきなのか、幼稚園以来同じ名前の女の子に出会う機会は暫く無く、高校にて久々に出会ったまほろちゃんはすぐに中退してしまったし、次にまほろちゃんに出会ったのは新卒の研修になっていて、その頃には名前に対する苦手意識もだいぶ薄らいでいた。未だに自分の名前を呼ばれると妙にドキリとするのだけれど、社会人ともなると名前より名字で呼ばれることの方が俄然多くなるので、その理由の一つかもしれない。

根性が無い、意気地が無い、負けん気が足りない、事なかれ主義。高校まで母によく言われた言葉。それを言われる度に「だって幼稚園の時からそういう性分なんだもの」と思ってずっと聞き流してきた。事実、今でもその通りなので、反論出来ないというのも正しいのだけど、そう言われる度に時々幼稚園のあの頃の記憶を思い出して、都合よく今の私の経緯と結びつけてしまうこともある。

だから結局ダメなのかもしれない。最近よく聞くけど、自分で自分に呪いをかけるってやつなのかしら。私の場合は、なんだかそっちの方が都合いい気がするけど。

何はともあれ、結局私は、その鬱々として相手にどう思われているかが第一優先の性格を引きずってしまった所為で、高校3年の夏まで「いつも笑ってるね」「優しいね」と言われる原因になってしまうのだけど、これはまた別の話。


新卒が入ってきて数日後、とある研修日程で社員の名前が乗ったプリントが回ってきた。社員全員の名前が載っているので、当然そこには私と新卒の春川さんの名前も記入されていたのだけど、そこには私と彼女を区別するために

春川(ま)
春川(あ)

と書かれていた。
その所為で、またついつい昔のつまらない記憶を思い出したので、ここに書いておくのもありかな、って。

#備忘録 #あの日のこと

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