石田徹也の「飛べなくなった人」
中学生のころの僕はいわゆる「おたく」だったから、イラストを描く同好会に所属していた。絵は下手だったが、美術室で「おたく」仲間と駄弁りながら気楽にお絵かきをするのは、そこそこ楽しい放課後の過ごし方だった。
この生活は楽しかったけれども弛緩していたので、僕がこの同好会活動について記憶しているできごとは二つしかない。一つは先輩の一人が錯乱して僕の同級生に棒ヤスリを投げつけた事件で、もう一つは表題の、石田徹也の画集のことである。
ある放課後、僕たちがくだらないお喋りをしながら"中学生らしい"絵を描いていると、珍しく美術の先生(確か顧問ではなかったと思う)が現れた。先生は「ちょっとこれ見てみない?君たちの参考になると思うんだけど」といって、一冊の大型本を机に置いた。石田徹也の画集である。表紙には、飛行機の胴体部分と一体化しながら力なく手を広げる人間が、暗い色使いで描かれていた。彼の目はこちらを見ているようにも見えるし、どこにも注意を払っていないようにも見える。代表作の「飛べなくなった人」だ。
僕らは所詮「おたく」なので、石田徹也の名前など聞いたこともなかったが、この表紙の放つ異様な空気にすっかり呑まれてしまった。偶然その日の活動に参加していた部員は四、五人程度と少なかったので、皆で画集を囲み、ページを捲りはじめた。いつもは中学生の「おたく」らしく喧しい面々が、この時間だけは一言も発しなかった。早く次の絵が見たいとページ端に手を掛ける者もいれば、まだこの絵を見ていたいと、それを制して無言の主張を行うものもいた。
この時間がどれだけ続いたのか、また中学の何年ごろのことだったのか、僕は覚えていない。また、"中学生らしい"イラストばかり描いている僕たちに、石田徹也が何か影響を与えたということもないはずだ。ただ、あの時間の、あの空気だけはしっかりと覚えている。他の部員は、あの画集を覚えているだろうか。彼らとは高校に進学してから疎遠になってしまったので、今となっては確認のしようもない。
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