見出し画像

苦しみの単位ってなんだろう。

──苦しみの単位ってなんだろう。

ふとそんなことを考える日が多くなってきている気がする。

僕は、大学生時代に自殺未遂をしてしまって、それから起業をして、いまでは「人生しんどいよ」と思ってる人たちにビジネスを教えたり、その人たちに生きる希望を与えるための情報発信活動をしている。

そのとき、言われるんだよ。


「私は、だざいさんより苦しい経験はしてませんが・・・・・」


そんな枕詞に続いて、その人がどんな経験をしてきたのかを教えてもらうことが多くて、その度に毎回違和感を感じてしまう。

もちろん、これはもしかしたら僕への配慮なのかもしれない。

だけど、僕は苦しみに対して「客観的な単位」はつけてほしくない。誰かと苦しみを比較しほしくないし、僕は絶対に比較しないようにしてる。


苦しみの単位は、主観的な単位でいい。

だから、僕のなかの正解は「%(パーセント)」だと思ってる。

もちろん、苦しみだけではなくて、幸せや喜び、怒り、悲しみ、嬉しさなどなど、すべての感情に関するものは「%(パーセント)」で表現するのがいいんじゃないのかなって。


あなたが、100%苦しかったら、それは大変なことなんだよ。

あなたが、100%嬉しかったら、それでいいんだよ。


誰かと比較してるうちは、ずっと苦しみは終わらないし、幸せにもなれない。上には上がいる(?)からであり、下には下がいる(?)のだから。

誰かと比較してるうちは、自分のことを肯定してあげられないじゃないか。


誰とも比べなくていいよ。

疲れちゃうでしょ。


僕はね、他の人たちからすると「そんなことで?くだらない」と言われるような理由で、自殺未遂をしてしまったんだよ。

人間関係とか、恋愛関係とか、学業とか・・・・・・・・・・

周りから見たら平均点以上を取れているように見えていたのかもしれないけど、それが僕にとっては地獄で、それが僕にとっては100%の苦しみだった。

だから、生きることに対するコストパフォーマンスの悪さを感じてしまって、この人生をもうやめようと思ってしまったんだよね。


他人と比べたら、贅沢な悩みだったんだろうね。


でもさ「贅沢な悩み」って、いくら贅沢だとしても、悩みには変わりなくて、それは当の本人からすれば致死量の毒なんだよ。

こうやって描いてるとアイデアがどんどん出てくるんだけど、まるで苦しみというのは「アレルギー」みたいなものなのかなって思い始めた。

周りの人からすれば「これを食べられないなんて人生損してるよ!!!!」と思うかもしれないし、「ちょっとくらい食べてみたら!?」と思うかもしれないけど、当の本人からすればそれが致命傷。さようなら。もう終わり。

そう考えると、お酒の強さも一緒かもね。


自分の許容量、友達の許容量、恋人の許容量、他人の許容量。


それは別に顔に書いてあるわけじゃなくて、本人に話を聞いても正確にはわからないレベルの話なんだけど、僕たちはそれをうまく見極めながら生きていかなくてはならない。

そして、自分の許容量も知らなくてはならない。

で、その許容量を誰かと比較する必要なんて一切ない。


苦しみの単位は「%(パーセント)」だよ。


無理せず生きていこうね。

僕のSNSやメルマガに連絡をくれるときは、「だざいさんほど苦しんではないんですけど」なんて枕詞はいらないからね。苦しみは比較するものではなくて、主観的に「%(パーセント)」で表現されるものなんだから。


あなたにとって、100%苦しいことだったら、僕は共感するよ。

そして、その苦しみのなかを力強く。いや、力強くなくてもいいから、その苦しみのなかで生きていて、僕の文章を読んでくれたり、僕に連絡をくれたあなたのことを全肯定するよ。


ということで、こうやってたまに思考を書いていきたい。

自分のためにも。

もしかしたら、この思考がネットを徘徊している誰かのためになればいいなと思って書いていくよ。


別に読まれなくてもいいけど、読んでくれたらもっと嬉しい。

あと、note初心者すぎてわからないけど、SNSにおける「
いいね」みたいなものがnoteにはあるそうで。

それもくれたらモチベーションになるし、コメントってできるのかわからないけど、あなたの意見を聞かせてくれたら嬉しいと思う。


まあ、何より、僕の言葉があなたに届いていたら嬉しい。


それでは、また次回のnoteで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?