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「どうしようもない『どうしようもなさ』」―2021/08/23

・今日の日記はネガティブだぞ~~~~覚悟しとけ~~~~~~~

・ネガティブになりきる前に。昼食のサンドイッチとコーヒー。

・トマトとコーヒー、どちらも小さいころには食べられなかったものだ。コーヒーはブラックで飲めるようになった。カフェでも物おじせずコーヒーが頼める。一方トマトはと言うと、加熱さえされていればおいしく食べれるが、生は食べれなくはないけど進んで食べはしない感じ。小さく切られていたりすると食べやすさが上がる。昔はもっとひどくてトマトの味、におい、食感全てダメ(だと思っていて)で、極端に嫌っていた。今は味わうほどの余裕があり、「ああ、中の種とかが入ってるデロデロの部分の青臭さが苦手なんだな」と原因の特定に成功している。



・一日中頭の中にもやがかかった感じで生活していた。タスクの最低限のノルマはクリアできたけど効率がめっちゃわるい。リングフィットアドベンチャーを久々にやったけどプランクやってる時ですら考え事が頭をよぎって筋トレよりその不安に打ち勝つことの方がきつかった。

・端的に言えばコロナ禍の影響をモロに受けてあらゆるものごとがうまく進まず、ストレスがすごいたまっている。「その影響すらも計算して立ち回れないなんて、プププ」と思われてもしょうがないとおもう。甘んじて受け入れます(辛いけど)。

・原因をコロナ禍に求めると全部「どうしようもない」で終わっちゃうのがどうしようもなくて気持ち悪い。例えば改善すべき原因がわかっていれば、(それを認めるのに勇気がいるけど)その原因を改善する手立てを考えて進歩できるけど、「どうしようもない」には先がない。崖っぷちって感じ。重いシャッターが下りると言ってもいい。終わりでーす。先はありません。帰んな。って感じ。やり場のないどうしようもなさばかりが募る。それがいつ、どこで起きてもおかしくない状況にずっといるがあまり、希望を失いかけている。

・だから先を読む力をつけようよおたんこなす。そうです、私がおたんこなすです。この夏なすばっかり食べてるからか...?

・私が経験した震災もある種の「どうしようもなさ」があった。しかしそれは減災・防災や被災経験の伝承といった形で昇華する余地があったんじゃないかなあ。実際私も、故郷である福島県が偏見・差別の的になることへのどうしようもなさを演劇で伝えるという形でエネルギー変換してきた部分はある。

・いまは...。その発散先だった演劇がまさに「どうしようもなさ」を生み出す装置と化してしまった。

・「じゃあどうすればいいんだ?」「どうしようもないね」

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