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「闇ならば光、光ならば闇ではない」―2021/08/30

・コンビニコーヒーのLサイズを初めて買った。好んでコーヒーを飲むわけでもなく、眠気覚ましやカフェに行ったら頼む程度なのでコンビニコーヒーはレギュラーでこと足りていた。

・しっかし今日はなんだかやる気が起きぬ。朝起きたときからなーんかもやってた。しかし目の前にはやることがドカッとある。ううむ。手を出すしかないか、あれに...。

・ということでコーヒーに頼ってみたわけである。効果はまあまああって、午前中にはだいぶ進めることができた。夕方やお風呂入る前にちょこちょこ進め、今日のノルマ達成成功。

・しかし私は人生で能動的にエナジードリンクを買い、飲んだことが一回もないので、コーヒーでこれならエナドリはどれほどの効果をもたらしてくれるんだ...?とワクワク半分、怖さ半分の気持ちでいる。でもカフェインやばすぎて肝臓への負担が凄いらしいですね。命の前借りか...。やっぱちょっとやだな。



・刹那的な生き方をしようと思ったことがあまりないかもしれない。具体的にはその場のノリみたいなものが発生してもいまいち乗り切れない、と言った方がわかりやすいかも。オールしたから一限出ない、とか、今日は吐くまで飲もう、とか。長期的に見て損をする可能性が高いことはしないことが多い。もちろん一切したことないわけではないが。

・だから「今この瞬間が楽しければそれでいい」と言っていた友人たちが、とても輝いて見えた。どこか危うさ、もろさ、儚さをもはらんでいたのだけれど、それも込みで。

・でもそういった人ほど心に暗い部分があったりする。光があるから影があるとでもいうべきか。


・コーヒーが黒いのって、カフェインという闇を取り込んで進捗という光を生み出してる、みたいなことなんですかね?

・エナドリって何色なんだろう。

・いやめっちゃカラフルじゃん。説立証ならず。

・そもそもエネルギーを生み出すために闇を蓄える必要なんてないのかもしれない。太陽だって水素を燃やして光り続けているわけだし。闇をもともと抱えている/ないし不可避的に闇を蓄えざるを得ないから、それを光に変換しているだけで、選べる立場にあるのならば、自分からわざわざ闇を摂らなくていい。

・逆にエナドリのんでみたくなってきた。逆に。

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