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「断片を見つめる」―2021/09/21

・朝早くに起床。早起きすると絶対にお腹が痛くなる。高校までは朝6:30起きが日常だったので特になんともなかったのだが、遅くとも大学入学後から8時前に起きるとお腹がグルグルなるようになってしまった。

・遠方への旅行やボランティアのために早起きしなきゃいけない時が大学生になってしばしばあるのだが、そういう時に腹痛が確定しているのがやや憂鬱。過敏性腸症候群とか疑った方がいいんですかね…?

・でも梅雨時にやった教育実習の時はそんなことなかったんだよなあ。毎日0時就寝6時起きだったけど特に心身の不調は見られなかった。むしろずっと家にいた分毎日人と会って話せる場所があるだけで健康だったしやる気もバチバチにみなぎってたな。


・駅前のバスプールにお見送りへ。

・帰省する人を見届けるだけなのに、自分までワクワクしてしまった。どこかに行くってやっぱりワクワクしますね。気ままな旅が胸を張ってできるようになりますように。

・朝の駅前は昼間と違って特定の動線に人が集中して、その他の場所は閑散としていた。本当に動線と呼べるくらいはっきり人の流れがあったのですげーなあと思った。大学生が登校しないことでいくばくかこの動線の密度を下げることができているのだろう。

・同時に、社会回ってんねえ!とも思う。やっぱどっかのけもんというか、社会というものに参画しきれていない自分の存在を再確認してなんだかなあと思ってしまう。



・ファンクラブ限定の抽選に当選し、観戦無料券を2枚もらうなどした。観戦した試合が5連敗中なので球団なりの慈悲だろうか。行ってやりますよ!ええ!!



・卒論のためにインタビューしたり事実関係を調べてまとめたりしている。自分なりに卒論の作業をジグソーパズルに例えてみたところ、なんとなく納得できたので書いてみる。

・まず、インタビューデータがジグソーパズルのピースにあたる。数日前にも日記で書いた言葉を借用すれば「断片」とも言える。これだけでもある程度繋がる部分があり組み立てられはするのだが、もうちょっとヒントが欲しい。そもそも「断片」はこの世の中には無数に存在するので集めようするとキリがなくなる。

・そこで必要なのが「枠」である。「枠」があればそれをヒントに組み立てることもできるし、どのくらいのピースが必要なのか判断できる。この「枠」に当たるのが事実関係の記述、確認だと私は考えている。

・社会学というだけあって対象が「社会」なのでそのままではあまりにも「枠」がデカすぎる。「断片」も無数にある。そのなかで卒論として何か書かねばならないとなれば必然的に身の丈にあった「枠」が必要になるし、「枠」を作るためには自分の興味がある分野や、身の回りにどんな「断片」があるのかをしっかり見つめなければならない。

・特に「断片」をしっかり見つめるのは個人的に大切にしている。「枠」を埋めようとするあまり「断片」の形を捻じ曲げてしまっては意味がない。むしろ隙間が空いているならそこが次の研究につながるかもしれないし、隙間が空いているからこそ論じられることがあるはず。

『断片的なものの社会学』『マンゴーと手榴弾』を書いた岸政彦や去年実習の授業で読んだ佐藤郁哉の『社会調査の考え方 上』の影響を多分に受けていると思うが、自分なりにはこう考えている。


・誰でも見れるところに自分の考えを真面目に書くの、やはり小っ恥ずかしい。



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・夕飯に唐揚げを食べるなど。


・自宅から見える月が綺麗だ!


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