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「できないことから」―2021/08/25

・今日は午前中から団子屋さんにいった。団子だけで8種類、それに加え季節の甘味が売っているのだがどれもめちゃめちゃおいしい。個人的にはずんだの程よい甘さが好きで毎回食べている。あとお品書きにみたらし団子をしょうゆと書いているところも好き。みたらしと聞くと、甘いので砂糖とか餡っぽい食感を連想しがちだけれど、しょうゆとかくことで、「こいつの主役はしょうゆなのだ」と改めて気づかせてくれる。

・せっかくなので季節の甘味である抹茶くずも買った。抹茶の風味が上品でね...おいしかったねえ...。笹の葉にくるんであって、竹をそいで作った楊枝で食べるのもおしゃれだったな。


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・川。夜に雨が降ったようでやや増水していた。あと色が濁っていた。川辺でボケっとするのが好きなのだが、今日は蒸し暑いこともあって早々に退散した。

・スーパーで買った昼食の生姜焼き弁当、明らかにひとんちの味がしてよかったな。コンビニのようなマニュアルに基づいた大量生産では出せない味のまろやかさがあってにっこりした。

・ってことはこのレシピ、パートの方に一任されてたりして。その方が辞めたら味が変わって売れ行きが変わる、みたいなことあるんだろうか。ラーメン屋は「店主が変わると~」みたいな話をよく耳にするが。



・最近気張りすぎていたのかもしれない。自分もよくわかっていないのに、目に見えない「責任」的なものを自分は背負いがちだ。しかもそれを背負う時、相手には、自分がこれだけ責任を背負っているのだからと(自ら選んだにもかかわらず)過度に期待してしまう。過度な期待は厄介だ。いずれ必ず裏切られ、「自分は責任を果たしたのに相手は...」と人を攻撃するタネとなってしまう。

・要するに私は張り切ると現実が見えなくなるのだ。何度もこの逡巡を繰り返しているのでそろそろ学習したいところだが。

・まずは何ができて、何ができないのか。これを正しく認識する必要がある。そのあとは、できることをできる範囲でやるしかない。何か「できなければいけない」ことがあったとしても、それができないんだとしたら、(なぜできないんだと憤り、嘆くのではなく)それが現状なのだと受け止めることから始めたい。

・自分(たち)のできなさを認めることに、私は慣れていない。多分不得意。でもそれを認めない限り次には進めない気がする。できないならできないなりのできることがある。それは「できない→できる」にする努力かもしれないし、他の「できる」に目を向けることかもしれない。

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