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頭のいい人が"いい人"とは限らない

気づけばnoteを開始してから一年経っていました。わずか二本の記事を書いたものの、それきり・・・。3日坊主ならず2日坊主です。

再度記事を書くに至った経緯は別エントリーで書くとして、今日は書きたいことを書いていきたいと思う。

結論はタイトルのままなのですが、昨日ふとこの事実に気づき、自分的ブレイクスルーが起きました。

振り返ると、私はこれまで職場で上司や同僚、会社そのものに対しての期待が高く、自分の思い描く「あるべき姿」にそぐわないことがあると、失望したり、フラストレーションを溜めることが少なくなかったと自己認識しています。

そのあるべき姿とは、会社の上に立つ人は自分より頭がよく、倫理的、人格者であるべきというもの。これ私だけなんだろうか。世の中にもそう思っている人は少なくないように思うし、メディアだってそういった姿が理想であり美しいものとして描いているように思う。(ダークヒーローももちろんいるけれど、”ダーク”と頭文字がつくのは、ヒーローが崇高なものだからだし。)

仮にそういった不満やフラストレーションを感じるときは、世の中思ったようにはようには行くものじゃないし、他人がどんな人間であるかは100%私のコントロール外であるし、コントロールできないことに不満を持っても、自分の受け止め方を変えるしかこの問題を解決する方はない、と思うようにしていたが、根本的な不条理さを感じていたのは事実だと思う。

だが、気づいてしまったのだ。上司に利己的な人間が少なからずいたり、ずば抜けて優秀でもない人が出世するのは、純粋に、出世する人が、利他的だったり、善い人であることを条件とする事実は、資本主義的な考えの中には含まれないからなのだ。頭がいいことは成功する上で武器になると思うけど、それだけではないのだ。だから頭が悪くても出世する奴はいるし、嫌なやつでも出世する奴はいる。さらにいうと、頭がよくてもモラルが破綻している人間もたくさんいる。つまり、頭の良さや善人であることは経済的な成功とは何の関係もないのだ。この気づきには、個人的には頭を殴られたような気がした。

頭がいいけどやなやつらたち。

金融業界に勤めていたときに、Oという上司がいた。上司が作った資料の英語を直したら、「そんな言い方すんの?聞いたことないけど。」と嫌味を言ってきたり、私が出社する時間を毎日エクセルにメモっていたり、あるときは「これじゃ俺守れないよ」などと難癖をつけてきた。他のチームとは、仲良くするな、協力するな、と裏で他のチームの悪口を延々と吹き込んできたり、少しミーティングをしようものなら根掘り葉掘り内容を聞いてくる。職場には不倫相手から何度も電話がかかってくるのに自分では出たくないから、対応をさせられ、不倫相手に電話で泣き崩れられる始末。自分が一晩何回性行為をするかを酒の場で聞かされる。

今思うと本当に辛い経験でした。精神的にも鬱になったし、仕事に行けない時期があった。私が休んでる間もそいつは私の悪口を言っていたのだろう。

正直、自分が金融にいたときのことは思い出しても気持ちが沈むような経験ばかりだった。頭がいい人はたくさんいたけど、お金で動く怖い世界だった。

出世しなくてもいいのかもしれない。

この数年、自分の職位を上げることに思った以上に重きを置いてしまっていたのだが、この気づきを得てから、急に自分が目指したいあり方は、出世に必ずしも繋がらないのかもしれないと思えるようになった。

逆にいうと、今までは、頭が良ければ出世する(もちろんそれ以外にも必要なことはたくさんあるが、重要な資質だと思っていた)、と思っていたから、評価されない=自分の知性が否定されている、と結論づけてしまっていたのかもしれない。

この考え方のパラダイムシフト(大袈裟?)によって、出世することにしがみつかなくてもいいことがわかった。出世云々よりも知性を使う仕事ができることの方が自分には望ましい働き方なのだと気づけた。

Ladderを前提としないサステイナブルなキャリア開発

出世を前提としないのは、ある意味サステイナブルな生き方を選ぶということだと思っている。頑張って頑張って会社に利益をもたらすことで、出世をする道を選ぶのではなく、自らの強み(創造的な問題解決や社会の潮流を捉える洞察力)を最大限に発揮できる職場を選びつつ、ハシゴを登る的なキャリアディベロップメントを行うのではなく、強みを軸とした横展開をしていくことが今後のサステイナブルなキャリアディベロップメントだと考える。

まずはnoteで発信をすること

サステイナブルなキャリア開発をしていく上で、自身の強みに基づいた軸づくりはまさにパーソナルブランディングである。ということで、果たしていつまで続くかはわからないが、私という人間が世の中に提供する価値は、こういった洞察である(というかあってほしい)という考えのもとにnoteの記事を再開していきたいと思います。

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