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家族になること 2023年7月16日

1年くらい前から、夫のいいところが見えにくくなっていた。なんで結婚してしまったのか…別れたいなどと思うことが増えていた。自分でもどうしたらいいのかわからなかった。彼が変わったわけではなかった。彼は今まで通り淡々と日々を過ごし家族を大切にしてくれていた。私が勝手にイライラしていた。
彼なりに大切にしてくれているのに、それは私が欲しい形ではないことに腹を立て切り捨てた方が楽だと考えていた。私が欲しい形ではないから辛いことを伝えても見たけれど、変わらなかったから余計に腹を立てて落とし所が見つけられなくなっていた。

そんな中で今年の年始から5月までは彼の繁忙期が続き、家事や子育てに対してほとんどフォローがなくなった。でも気持ちが冷めていた私は不満を言葉にして伝えることさえせず、ただただ心を閉ざして淡々とやるべきことをこなし日々を過ごし、さらにどんどんと気持ちが冷えていった。

彼の繁忙期が終わった頃、彼も私の変化に気づいていた。目を合わせる回数が減り、一緒に笑い合うことがなくなった。隣に座ることがなくなった。彼は特にそれに言及することなく、今まで放置していた家のことを積極的にやるようになった。いつもそう。私の心が離れていることを感じると、自分にできることを探してとりあえずできる限りやる。でも私が欲しいのはそういったことではない。私が伝えた私が欲しい形で私を大切にして欲しかった。

6月からは夫の仕事の負担が軽くなり、目に見えて気が軽くなっている様子だった。休みの日にはこどもたちが喜ぶことを考え、出発前には家のことを片付け、今までやらなかった休日の朝食作りも再開した。

おだやかな毎日や夫の様子を見ていたら、私が欲しいものはそんなに重要ではない気がした。夫は夫にできる形で確かにわたしや子どもたちを大切にしてくれている。

7月の三連休、久しぶりに朝からよく笑ってのびのび過ごせた。嫌な気持ちを心の隅に隠して過ごすのではなく、心からリラックスして笑って過ごせた。夫も不安や不満を心に潜ませるのではなく、リラックスして一緒に笑っていた。お互いが心に相手への不満や不安を潜ませずにリラックスして笑い合えることがこんなに心地よいなんて忘れていた。自分で崩してしまったのに。一年どころではなく、もっとずっと前から無くしていたのかもしれない。

結局、いつも思う。結婚に対しても夫に対しても覚悟も愛も足りていないのは私なのだろう。ちょっと何かあると騒ぎ立てたくなって目の前の本当を見失う。必要なものは全て目の前にあって、私がどんな心でそれを受け取るのかだけなのに。受け取ることさえ上手にできない。でも、そんな私と同じくらいやはり夫にも欠けている部分がたくさんある。そしてそれを知っても一緒に進もうと決めたから夫婦になったのだろう。

とりあえず、今日はモヤが少し晴れた気がする。私も夫も足りないところだらけだけど、それを抱えて一緒に進むことにしたのだ。嫌なら別れたっていい。でもそれはこういう中途半端な気持ちで決めることではない。まだまだ途中。

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