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おとこのことおんなのこ 2021年7月10日

ここ最近の6歳のはなし。

・幼稚園のふれあい動物教室の感想が「お馬は見ている時はゆっくり歩いているように見えたけど、乗ってみたら早かったしすごく揺れるんだよ。モルモットが一番かわいかった。ヤギのひげは柔らかいんだよ」だった。

先日のこと。上の子が一人で黙々とタブレットで遊んでいるので覗き込んでみたら、急いで画面を消されてしまった。「どんなので遊んでたの?見せてくれる?」と聞いてみるとプリキュアの計算ゲームだった。プリキュア=おんなのこが遊ぶというイメージがあるらしく恥ずかしかった様子。そういう性別で限定することはできるだけ避けたいと思って注意してたつもりだけれど、やっぱりあるんだな…と思った。とりあえず、そのあたりには触れず「おもしろいゲームだね。いいゲーム見つけてよかったね。おかあさんも一緒にやってもいい?」と話してみたところ、ほっとした様子で一緒にやらせてくれた。その後は同じゲームを隠すことなくやっていたので、この件については気にならなくなったのかな?

男の子を日本で育てる上で、性差別についてはどうしても過敏になってしまう。私自身の感覚としては、学生の頃は家庭科も技術も男女一緒に授業を受けていたし、出席番号も男女混合で男女差別的なものはあまり実感していなかった。けれど、大学生になった辺りから世間に出ると想像以上に、また自分が想定していた以外の場面で「女だから」という扱いをされることに衝撃を受けた。その衝撃は結婚出産を通してどんどん大きくなっている。また、わたしから見た世界が、夫からは全く違う世界に見えていることに驚くこともある。これは夫が男性だからと言うことが全ての理由ではないのだろうけれど。

きっと私が「女だから」と言われる世界で衝撃や苦痛を受けているのと同様に、男性側から見た世界にも衝撃や苦痛があるのだろう。

こどもたちが生きていく世界が、今私が見ている世界よりも、お互いを尊重できる社会であり、性別やその他の特徴で簡単に分断し括らない世界であるように。そう願っても、私自身の中にも差別や偏見は根深く潜んでいて、自覚があるものもないものも想像以上にたくさん抱えているのだろう。

どうすればもっと柔らかく、押し付けるのではなくありのままを見る頭や心を育てられるのか。私の軽率な決めつけを持ち込まず物事を捉えられるのか。歳をとっていく中で、硬くならずにいることはきっととても難しい。

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