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前提

そもそもなぜこんなことを始めたのかと言えば、30半に差し掛かってやっと安岡先生の言っていることが理解でき始めたからです。本の中で先生は、

我々が短い生涯に大事をやり遂げようというのに、ぼんやりと或いはやみくもに生活することはできない。必ず生涯、どういうところに向かってどのように工夫し、力を用いるかという大方針を樹てなければならない。

安岡先生は昔の方なので、まあ文章が高貴というか正直読みにくいです。今のコミュ力重視全盛の時代には全くマッチしませんね。このような文章を書けば職場ではきっと上司に怒られることでしょう。

とあれ、書いてある内容はまさに、人間として生まれたからにはその人生に目的がないといけないということでしょう。私がこの考えに共感するようになったのは、テレビなどで「生きているだけで素晴らしい、人間最高」というような価値観を前面に出していく様子を見ていて、私も全く賛成なのですが、なぜか心に引っかかるものを感じてたからです。そしてテレビに出てくるような自分の資産を紹介するような方よりも、スーパーボランティアと呼ばれる尾畠さんを見ている時の方が自分の心が動かされたからです。もちろん人間社会ですから弱者は保護されるべきだし、お年寄りなどはその貢献を称えられるべきです。問題なのはきっと、何かに少しでも貢献したいというその姿勢が大切なのではないかと考えました。

とは言え、人生における大方針というものを立てるということは簡単にできることではありません。もう30半をすぎてもいまだにぼんやりとしか見えていませんが、それは論語にもあるように昔の人も感じていたのではないでしょうか。

子曰、
「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず」。

孔子先生でもこうおっしゃっていたのですから凡人の私が未だに迷っていても問題はないでしょう(笑) そしてなんと言ってもこの、「人間としての生き方」はこういった問題を解決するための糸口にするために、安岡先生が眠りを覚ます暁鐘として著された本なのです。私が持っているのは訳文ですが、原文は昭和4年に書かれたものであり、いかにこの問題が根深いものかを表しています。

この本は全くもって難読書でして、何度読み返してもわからなかったり、または違う意味が見えてきたりと奥が深いものです。私は決してアフェリエイト目的でも金銭目的でもなく、単純に人生の目的というものを見定めるためにこの本をガイダンスとして探究をしていきたいと考えています。もしこれを読まれている方がおられましたら、是非何かしら批判でも構わないので書き残していってください。

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