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造化について考える

このページでは私の私淑する安岡先生の考えの根元的アイディアとなってると思われる「造化」について考えていきたいと思います。ぞうかと読むのですが解説が非常に難解でいまだに私も完全に理解したとは言い難いですが今時点での私の認識を説明していきます。まずは先生の著書の「人間としての生き方」でどう触れらているかを紹介して自分なりの知見を交えて理解していこうと思います。

人は常に自分を無にして、造化(天地万物を創造し育てる神霊・造物主・宇宙や自然の根本にある霊力)と交わらなければならない。… この宇宙も人生も全て自己を実現しようとする絶対者の努力であり、宇宙に存在する一切のもの、森羅万象はすべて同じようにその現れに他ならないことは明らかである。(一部省略)

これがいきなり緒論の第1文です。定義が難しそうな言葉とスピリチュアルそうな言葉が使われ、さらに「明らかである」と決めつけ、「交わらなければならない」と命令されています。本屋で奇跡的に手に取られても、この出だしでつまずかれて棚にそっと戻される光景が目に浮かびますね。私はたまたま実家にあった(!!)のでこの第一関門を強制的にくぐり抜けましたが、自分では買わないですね。当然この本を読んだときは全く意味がわかりませんでしたが、年が経つにつれて他の文化や文献に触れるにつれて少しずつ分かるような気がしてたので解説を試みたいと思います。

第一文でも述べられているように、造化は日本人的な感覚の神を指しています。自然が神と深く関わっていて、身の回りのあらゆる物、あるいは人間さえも神になってしまうという感覚です。一方、一神教のキリスト教は(おそらくイスラム教も)神と人間は一対一で対峙していて、その教えに従えば神に祝福され天国へ行けるという仕組みなのですが、これはどうも日本人にはしっくりきません。何がしっくりこないかというと、一神教の教えでは自然との関係が希薄なのです。これらの宗教が生まれたのはエルサレムの荒野であり、自然は人間がコントロールするもの、支配するもの、神が人間のために与えたものなのです。この考えは、豊かな自然に育まれつつも、時には自然災害という凶暴な一面により翻弄され、これを支配出来ると到底考えるべくもなく、信仰の対象として拝めてきた日本人とは異なります。西洋哲学に通じていた安岡先生も同じように感じたようで、結局人間は自然と交わって生きていくべきだという考えに至ったのだと思われます。

自分を無にしてとありますが、ここでアメリカ原住民の文化を少し学んだ時のことを関連させたいと思います。彼らの宗教というか信仰で特徴的なのが、自分たちがなぜその土地に暮らしているかについて多くの部族が似た考えを共有している部分です。それは自分たちは自然を管理して守り共存していくために存在しているという考えです。つまりは自分たちにはすでに与えられた役割があり、自分を無にするという考えに近いものを信じているのではないでしょうか。仏教においても無我の境地に到ることが良いとされているのも偶然ではないのかもしれません。アミニズムと呼ばれる土着の宗教は非文化的で一神教よりも文明的に劣るとされることがありますが、これこそが本来の人間の感覚で捉えられた人間としてのあるべき姿なのかもしれません。

次に考えたいのが造化の漢字そのものです。辞書によると、造はいたる、なるという意味、化はかわる、かえるという意味を持つそうです。これは自然を眺めていると明白なのですが、自然は変化の連続なのです。アメリカ人の先生に教わった言葉で忘れられないものが「The only thing it does'nt change is change」なのですが、まさしく変化しないものはすべてのものは変化するということです。細胞が変化し続ける生物はもちろん、無生物も風化や酸化の変化からは逃れられず、永遠に変わらないものはこの物質世界には存在しないでしょう。もちろん般若心経にも言われるように不生不滅、不増不減と元に存在している原子の量はビックバン時点からは変わっていないと考えられますが、その組成は常に変化しているということは現代科学でも言えることだと考えます。

ここで重要になってくるのが「この宇宙も人生も全て自己を実現しようとする絶対者の努力」という部分で、人間としての生き方の目指すべき方向性はこの、「自己を実現しようとする」部分に鍵があると考えられます。宇宙の原子の量は不変ではありますが、その組成にはいろいろな可能性があります。これは宿命と運命論に似ていると思いますが、ゴールは決まっていてもそれをどう実現するかは自分次第という私なりの理解ですが、宇宙においてもこの組成に絶対者(おそらくは宇宙を観察している神のようなものか?)の価値的判断があるのではないでしょうか。宇宙は放っておけば超新星爆発を繰り返して、ブラックホールがたくさんでき、核融合の燃料は燃え尽きて熱的平衡に向かうか、膨張がいつしか縮小に転じて特異点に戻るかはわかりませんが、そのどちらもあまり良い結果ではないと感じます。この辺りは人間の善悪、価値観を超えた次元の話になってくるので私もいまだに答えは持ち合わせてはいませんが、この宇宙にある定数(プランク定数など)によって今の物理法則が築かれ、そのバイアスが生存競争に作用して大脳と意識を持った人間が生み出されたことに何らかの意義があるのではないでしょうか。

ここまで緒文を見てきましたが、これ、まだ初めの1ページにも満たないんです… ただ興味深い話ではあるので今後も読み進めていきたいと思います。今回の話はナウシカに出てくる調停者を思い出させます。ネイティブアメリカンしかり、人間が自然の調停者として造られたという考えは国を超えて普遍的な精神だと思います。自然と人間の協調については次のページに出てきますので、次回に述べていきたいと思います。


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