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繋がることと、多様性の大切さ ー自然との関係からー

 世間ではコロナウィルスが盛んに取り沙汰され、不安な日々が続いていますが、このような時こそ宗教のような、心の拠り所となる考え方の大切さが実感されるのではないでしょうか。日本人の宗教への違和感・嫌悪感というものは確かにあるとは思います。しかし、宗教の果たしてきた、

「人間に与えられる理不尽な事象が起きる意味に対する答えを与える」

という役割は現代においても重要だと私は考えます。

 なのでこのノートでは日本人の思想の根幹を為していると言われる、儒教、東洋思想について考察し、自分なりにどう生きるべきなのかを考察していきます。

 今回も引き続き安岡先生の著書「人間としての生き方」をガイダンスとして、自然と人間との関係、人生の意味について手がかりを得るための考察を行っていきたいと思います。

造化と人間の心の関係 ー人と自然は別個の存在なのか

 人生の意味を考えるに当たって、人が生まれる元となった自然との関係を考察することは一つの手がかりになると思います。安岡先生の本にもこのことが造化の定義の次に書いてあることからも重要と考えられます。本では、

…この造化を…最もはっきりと現すものは人の存在である。造化は、人を通じてその心を開き現した。心は、人の心であると同時に造化の心であって、造化は心によって自ら暗く奥深い存在、玄から、明らかな存在、明となり、人は造化により生まれた存在にすぎない。…人がものを思うのは、すなわち造化がものを思うことに他ならない。

 ちょっと難解で、造化と人間の関係を理解する前に心が折れそうですが、頑張って読んでいってみましょう。

 まず、「造化が人を通してその心を現す」とされていますが、この辺りは西洋哲学の認識論に近い考えではないかと思います。つまり人が観察することにより外界が存在するという観念論とも捉えられます。

 しかしこの次が西洋的な考えと異なる部分で、「心は人の心であると同時に造化の心である」とし、人間と自然は分離した別個のものではなく繋がっているものであると述べられています。

 西洋だと、人間が常に中心で世界は唯一神であるGodとの対峙で現され、自然との関わりはあまり語られませんが、東洋哲学では人間と自然を一体視しています。

 ここで同じく私が私淑する中村天風先生の考えにも似た部分を見つけたので要約すると、

人間の心こそ、宇宙一切の造り主である宇宙大霊と自分の生命の本体たる霊魂とを、交流結合させる回路である。 ー中村天風 運命を拓く

 やはりここでも言葉は違いますが、人は自然、もしくは造物主、宇宙大霊と切り離されたものではなく、繋がったものであると主張しています。

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 この考えは中国の思想の基本である陰・陽思想に関わりがあります。西洋では二項対立、Godと人間(三位一体ではあるが)の考えが根底を為しますが、東洋では陰と陽はこの陰陽模様が現すように一体でかつ繋がっていて、お互いに変化し入れ替わっていると考えます。

自然界の姿

 どちらが「正しい」かと言われれば正解はないと言わざるを得ませんが、自然界をみてみると東洋の考えの方が自然界を良く現していると思えます。

 例えば元素の模型は私が子供の頃は原子核の周りを電子が飛び回るという形で二つは分離していましたが、実際は電子の位置は観測するまで判らない確率の雲のような物に覆われているというのが今の説明でです。さらに言えば、その中心の原子核にも果たして明確な境界が存在するのでしょうか?

 摩擦現象にしても似たようなことが起こります。確かに摩擦は二つの物体間に生じる抵抗力ですが、ではどこが境界になっているのかというと、これも明確に解明されていないのです。
 
 最近では量子コンピュータが話題ですが、この量子も粒子と波の性質を同時に備えているという極めてわかりにくい物です。
 
 このように自然界には明確な境界が存在しない、もしくは人間には判明しないことが多々あるのが現状です。

人が作り出した境界と科学的思考

 ところが人間は思考する際に言語に頼らざる得ませんから、物事を認識するためには言葉、概念を用います。

 人にとって、物事を認識、理解するということは、「分かった」という言葉が示すように理解するとは分解する、分ける、要素化するということです。

 全体をありのままに理解することは人間の言語能力では難しいので、コミュニケーションを図るためには概念を用いなければなりません。西洋の二項対立の考え方は自然ありのままに記述することはできませんが、日常生活、科学的思考を行うためには非常に強力で、この機能は西洋の物質的な発展に大きく寄与してきました。

科学的思考の限界と弊害

 確かに西洋、あるいは現代科学は人々の生活を豊かにし便利な物にしてきました。私も当然、文明的な生活から離れることはとても不可能です。

 しかし、便利な反面、現状、幸福に感じていない人が多いことも現実です。米国ではストレスや精神的苦痛を逃れるために薬物に頼ってしまい、命を落とす人が年間に大体7万人もいるそうです。

 ここまで物質的に発展しても、例えばセレブとなって大金を手にしても薬物中毒となって死んでしまうのです。それすらも自由な国なので人々はあまり気にしていないようですが、この問題は人類を将来的に破滅の道へと進ませる気がしてなりません。この現代の生き方に対する考察は後日にするとして、ここでは自然と人間の関係に焦点をおきます。

 この問題の根底には、「分断」があります。文明的な生活は個人の自由を尊重して、人と人の繋がりをわずらわしいものとしがちです。都市の孤独な生活、核家族化などは、まさに分断と言えます。

 そして、都市部で蔓延する精神的ストレスによる苦痛や、薬物・物質依存は、この科学の根底にある分けるという機能が問題なのではないでしょうか。

繋がりを保つことの大切さ

 自然の実情をみるとどうやら人間の心と自然は繋がっているものと考える方がより現実を表しているように思えます。となると、人しての生き方、あるべき価値観は自然のそれと同等と言えるのではないでしょうか?

 そこでもう一度自然界を見てみると、自然界において繋がり・リンク・コミュニケーションが失われてしまった個は衰退していくということが良く見られます。

 例えば、池の水も、上流と下流に繋がることでその清浄さを保つことができます。どちらかが切れてしまうと、水量が増えすぎたり、枯れてしまいます。どちらも失うと、そのままでは水は腐ってしまいます。

 人間の体の細胞も同じ様相を呈しています。ガン細胞は、周囲の正常細胞とのコミュニケーションを絶って,勝手に増殖を続け、最終的には人を死にいたらしめます。

 マクロのレベルでも、民主主義は、国民同士が繋がっていて、偏向されていない情報に基づいて自分で判断する能力を持つことを必要とします。反対に分断は、思想を偏らせ、ファシズムや、独裁などを産んできました。

では、どうあるべきか?

 繋がり・コミュニケーションが重要であるということは理解できますが、ではどういう価値観でこれが重要なのかという疑問がわきます。つまり、自然の中で正しいとされていることは何かということです。

 自然界をみていると人間以外の生物は種の保存を重視しているように見えます。つまりは生存競争に勝ち残ることがすなわち正しい、良いという判断基準であるといえます。

 そしてこの生存競争に勝つための最良の方法とされているのが環境の変化に対応するために多様性を保つことです。つまり、人として行動するに当たって多様性を保つことは「正しい」言えるのではないでしょうか。

 現実に当てはめて考えてみれば、多様性を保てない、分断された社会は窮地に立たされることが多いです。また、マクロ単位でも、他人の考えを受け入れられず、価値観を多様化できない人は、現代の変化の速さについていけず、困難に陥ってしまいます。

繋がりと多様性

 ここまでの考察で、

繋がりと多様性を保つこと

 が、今の社会問題を解決していく上での鍵となると言えるのではないでしょうか。

 自然淘汰から生き延びるためには、周囲とコミュニケーションして変化を察知する。そのネットワーク内の多様性を保って、さまざまな視点を持つことによって、変化への感度を高める。

 ホモ・サピエンスが生き延びたのはまさに、地球の大きな気候変化に耐えるだけの創造性をもたらした脳があったからだそうです。本能に従えば、身内ひいきを元にした、部族主義や目先の利益に囚われがちです。

 しかし、人間の大脳新皮質はこれらの本能を抑制する力を人間に与えてくれています。この変化の大きい、難しい時代にこそ、この能力をフルに活用して乗り越えていかないといけないのではないでしょうか。

 今回は長くなってしまったので一旦切り上げて、次回以降も造化と人の関係について考察して、人生の意味を考えていきます。もしこれを読んでいる方がいましたら、お考えを聞かせてください。よろしくお願いします。

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