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鉄道好きの美学

今朝、鉄道移動をしています。

自分は鉄オタじゃないですが鉄道好き。しかしながら今朝は嫌われるのも、わかるかなと思ってしまった。

多分中学生のグループ。

指定席の座席奥が自分の席だけど既にそこは中学生の自宅部屋状態。荷物を退かして貰い、ようやく座ったのも束の間。

割と元気よくノーマスク。朝からガッツリモンエナキメながらジャンクを食べおしゃべり。自分はおしゃべりもジャンクも良いのだけど、このご時世、食べながらの会話は控えめにしたい所。食べるかマスクしての小声会話がベスト。

撮影も良いけど、私ガラスにバッチリ映っているだよ。消し込みするから大丈夫なのは承知だけど、それ知らない人もおるよ。(何故か訛る)
更に立ち上がりの撮影も決して広く無い座席隣で座る私には少々不安。

トドメが私は一足先に下車だけど、撮影に必死で座席前を通せんぼ。無理矢理座席を乗り越えて下車。この電車ただでさえ遅れているのでイライラしそうになってた。

鉄オタは公共の物を愛でると言うとても難しい趣味なのだ。

実際自分は毎日通勤時間に旅行客が気ままに座るおかげで早朝の混雑してない車両でさえ座れないって事はザラだし。その時の自分は旅行客にフツフツと沸いては消える怒りを制御するのに必死だ。

乗っている目的がまるで違うので、そこは配慮は必要だ。お互い様だろ?と言うかもしれないけど、毎日使う人からすれば、ただの一度だと言う人でも年間その電車に1000人居たらほぼ毎日見かける事になる。

少しばかりを何故怒るんだ💢って思うだろうが、残念ながら現実はそういう人がほぼ毎日居れば少しの時間でも嫌にもなるよ。

鉄道は
自分の為のものには決してならない、
知らない誰かを支えるものを
そっと愛する高度な趣味なのだ。
そっと愛する事がこの趣味の美学なのだ。

その美学が愛せない、理解をしようとしない人は
鉄オタには決してなれない。

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多分ものすごく修行の趣味なのだ。





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