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不愉快表明

これが外にでているなら、まあ危難は去ったというか、呆れてどうでもよくなっているんだなという事だ。

この危難に似たような案件がいくつもある。

鈴木さんが山田さんに「あなたはとても真面目だ」と話をしたとしよう。山田さんにしてみれば日頃内心では自分は真面目なだけのつまらない人間だと思って居た場合、どう受け止めるだろうか?

「つまらない人間って言いたいんだな」と取るのか「真面目な所を褒めてくれている」と取るのか

他人の内心なんて誰が分かります?

本人ですら楽しくて仕方が無い時なら気にも留めないであろう。
つまらなくても大好きな人が言うなら気にも留めないであろう。
でもつまらない時、あまり好きじゃない人が言うなら、それは不愉快な発言になってしまう。

そして面倒事が起こる。
「つまらない人間と言いたいのか!!」と怒る
相手に悪口を言ったつもりが無いなら当惑するだろう。

ただ、ここで大きな分岐点があって、激おこな山田さんは
「怒る事で自分の立ち位置を確保する常習犯」だったら?

自分のお気持ち表明をして、「自分は不愉快不愉快!!傷ついた!!」と言えば、途端に被害者になる。「鈴木さんに真面目と馬鹿にされた!」「こんなに自分は傷ついた!!!」周りは山田さんをなだめるであろう。「鈴木さんは悪意が無かった。言い方が悪かったんだね」「鈴木さんも反省しているよ」

ここで問いたい。
山田さんはこの事柄に対して、まともな反応だっのか?単に山田さんが「過剰反応しただけ」の事かどうか周りの人は検証したのか?にかかってくる。

検証しないが殆どだ。

被害被害って言っている相手に本当に被害を受けたのか?なんて聞く勇気のある人間は居ない。そして更に過剰反応じゃないのか?なんて言う人は居ない。

だって面倒だもの。被害者です。傷つきました。って言う人に、それが本来なら受け流す程度の事ですよなんて言おうものなら、今度はとばっちりがこっちにやってくる。

だから自分が「不愉快」「傷ついた」と表明した人間の勝ちが出来上がり、周りはその人間の気持ちがその場に於いてのハンムラビ法典にすり替わるのだ。そして絶えずその人のお気持ち優先になって、何か不愉快案件がある都度「悪気は相手に無かったよ」「傷ついたね可哀そう」「君の気持ちが分かるよ」を言い続ける羽目になる。

もう、その枠に入ったら逃れられない。絶えず無意識の中に叩き込まれた「唐突に怒りだす面倒な人」タグがちらついて、逃げ出すにも勇気がいるようになる。そうなると益々その法典は有効になり周りに無駄な気遣いをさせて当然になっていく。

そして、そのお気持ち表明はあらゆるところで発動する。
「自分の知らない処で楽しそうにしていた」
「自分には面白い話題じゃなかった」
「折角盛り上がっていたのを水をさされた」
もう、自由自在に発動できる。
しかも瞬間爆発だから。

更に上級者になれば怒る理由も「高尚」になる。
あの人が傷ついている。この部のためにならない。将来の誰かのためにならない。などなど言い出す。自分を犠牲にしてまで戦う人になるのだ。

その何かの為に怒らなくていいのにと言えば言うほど「あなたは優しいからああいうのがつけあがる」「あの話は許させるべきじゃ無い」と、燃料を投下される都度「自分は正しい事をしたいだけ」「こんなに周りを落胆させてる事は許されない!」と怒りは収まる気配は無い。

だって気持ち良いのだから。

爆発後は周りの「優しい人達」が掃除や後片付けをしてくれる。そして周りは何故だか感謝すらするだろう。当の本人は怒った事への責任など無い。

こんなに素敵な世界は絶対手放さないし、仮に一人また一人と去って行っても次の候補をみつけるだろう。若しくは地獄の果てまで去ろうとする相手を追いかけて来るだけかもしれない。

自分はそれ程怒れる事案なら、怒った後には相当期間落ち込むだろうし、内省し、元気いっぱいいつも通りの態度なんて出来やしない。怒る前にわかりやすく言えば良かったのか?嫌味な言い方をしたんじゃ無いのか?考え付く対処を思いおこし憂鬱にすらなる。

しかし実際はケロってしていて伸び伸び楽しんでいる。
「あースッキリ」なのだ。

皆さん自身に問いかけてください。
他人との付き合いで、カチンときてすぐ怒りますか?正確には態度や口に出して怒ります?
怒る方、「お疲れですね休みましょう」。

怒らない方が普通なんです。何故ってその怒りは正しいものなのか判断がつかないからです。怒らせた側が挑発してわかりやすく名指しだのなんだので怒らせたは、まあ怒る場合もあるでしょう。
それですらこんな事で怒る自分は良くない。通常は気分悪いなと内心で思うで終わりです。何故そんな対応するのか?
「自分だってやらかしているけど周りは気にせずいつも通りの対応をしてくれているから」という考えや付き合いの基本があるから。

決して怒るな!とは言わない。何度も執拗にやられたら怒るべき時に自分の意思表示をすればいい。感情に任せてニトログリセリンみたいに揺れたら都度爆破は単なる感情の吐露なだけ。

自分のちっぽけな経験で言えば「自分素晴らしい人」説というか、「自分が正しい人」説にありがちで、他人を受け入れる以前に「まず自分を受け入れろ。そうしたらお前を受け入れるか考える」という、とても傲慢な考えに支配されているが、それを本人は気が付いていない。それどころか自分は謙虚であると思っている。だから自信たっぷりに相手を非難できる。すぐ気に入らないと態度や言葉で表明する。

でも、それが全方位じゃない。自分が強く出れると踏んだ相手だけなのだ。所謂チキンを相手にするという行為だったりする。何故って勝てると踏んでいるし、居なくなっても「自分にとっては」どうでも良い相手だから。

偶にチキンかどうか見誤ったりして、こっぴどく痛い目にあったりするけどね。

そして、自分がこれと思った人には殴られたって付いて行く。全く自分を受け入れてくれなくても、相手に不満があっても。そしてその相手が自分よりランクが自分の中では上なら上である方がいい。相手が人気があればあるほどいい。その人達を自由にできるようになったら、自分の不満の片づけをする有能な選手だらけだもん。頑張る。
とても気持ちいい態度を絶えずするであろう。面白い人であろうとするだろう。逃したく無いからね。

そうして、地雷だらけの土地に気が付いたら柵ができてて、その人を庇い続ける優しい子羊と、羊使いの群れなのに、傍から見れば仲良しグループに見えるであろう。

自分は今まで地雷を踏んで吹き飛んだ事が度々あるが、あの柵の中に何時まででもいるのかと考えれば、むしろ吹き飛んで楽になったよ。

そんなこんなで、段々とこの事象に当たる都度、「例のアレ」かと
思うようになる。名前が無いので自分はこの自分のお気持ち事案を
「不愉快表明」と名付けてみた。これをされたらもう基本近寄らない。

怒ってもすぐ謝られたら、互いに良くなかった点があったと、互いを非するのでは無く自分に持ち帰って流して終わりなのだが、「不愉快表明」する人は引かない。勇気の猛者なのだ。私は正しいの人なのだ。正しいからお前らは従うべきなのだ。

優しい人達が「まあまあそんな事気にしないで」「ここは1つ大目に見てあげて」と言われそこで赦すまでが一連の仕草なのだ。
そして「皆が赦しているから自分も赦す事にしよう」と言うであろう。しかし内心はそのままなのだ。

散々怒った後に仮に謝っていてもそれは「体裁」で、すぐ怒る癖など治す気もさらさらない。周囲へのアピールが殆どなのだ。実際その後怒らなくなる元「不愉快表明」する人を見かけたことが無い。


こんな訳で不愉快表明されたらその後を知る気にもならない。無駄だから。同じ繰り返しをするだけだから。


そんな付き合いを頑張る程
自分はそこまで出来た人間じゃない。


だから自分の中では

「最も忌み嫌う物」

として、近づかない事としている。

そして、このロジックの恐ろしい事は
「自分は被害者だ!!」と言いながら相手に対して怒る事なんだよね。



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