一回りすると嫌う努力してる。
そう言えばと思い出した事だが、まとまった考えがまだ出来てないので文書もひたすら意味不明だろうが、それで良いと今は思う。
高校の時、原さんという子がいた。彼女は自分の苗字を
「はら→→(腹と発音する)と呼ぶな!!」
「はら↑↓(難しいんだけど亀と発音するに近い)と呼べ」
といつも言う子だった。
全くアホな自分や真面目な子は「腹さん」と呼んで叱られたので「亀さん」と呼ぶとき意識をしまくるから顔が上向きになってしまうのを、これまた原さんに怒られる。
相手のイライラする顔を見ながら、みんな必死で「はら↑↓さん」と呼び、その都度本人は「呼ぶときその顔をするな!!」と、とても怒っている。
そして相手はだんだん自分含めどんくさい子にイラついて排除して、一部のうまい事呼べた人だけがお友達となっていく。
つまり簡単に言えば、ざるで選別しているというお話なのだ。あやふやな基準で選別している事を拘りという名前に置き換えている事に気が付かない。選ばれたとしても、なんとなく虫が好かなくなれば何てことは無い事で付き合いを終わらせる。
そんな相手の事は子供でもピンとくるので、外野の人も原さんをメンドクサイ人認定して近づかなくなる。
選ばれし友人は絶えず彼女の顔色を気にしているし、昔からの友達や、なんとなく特別扱いしている子が時々「腹さん」と呼んでいるのに怒られない事を疑問に思いつつ、必死でついていく。
何か小さな循環型の池が出来ていて、そこの世界だけで成り立っている感が、クラスでかなり浮いている事に気が付かない。原さんは自分についてきてくれる人達から愛されていると思っているので、周りなど気にならず、とても満足なのだ。
彼女をメンドクサイ人認定した人達(自分も含め)は、メンドクサイから近づく事も無いし、なにか面白い集まりがあっても声かけしなくなる。ただの壁紙程度になってくる。
謀反もある。
うまいこと名前を呼べた人の一人が、メンドクサイ人認定した人と仲良くなって小さな池から抜け出してしまうと、池の主の原さんは落ち込むし、とても相手を嫌うようになる。
「この心地よい世界から抜けるとは」
「あれだけうまい事循環していた世界から、汚いドブにはいるなんて」
ドブ世界に移動した人は最初は行き来するんだけど、結局循環世界で与えられた役目をこなす事が億劫になり付き合いが無くなる。
器用な子はつかず離れずで付き合う。原さんにしてみると人付き合いのうまい子は彼女にとっては永遠に追いかける人気者なので、わが手中に収めたく、嫌だと思ってもうんうんと言うから相手は適当に循環を出入りできる。はたまた心酔したかの様な子は循環にどっぷり入って心地よいからそのまま居るし、となる。
そんな循環がある日崩れる日が来て、ほぼ8割が一斉に他のクラスになってしまったのだ。彼女は段々離れていく名前をうまい事呼べた人に対して怒りやら喪失感やらを沢山抱いているが、外に出さず内心だけで沸々している。きっと戻ってくるに違いないから我慢する。
その当時の原さんはひたすら我慢し続けるが、
相手は戻ってこなかった。優雅な池から水たまりに規模が小さくなり、ひっそりとしつつまた新しい水辺を作るべくあちこち交流する。
運悪くどんくさい自分などが同じクラスで仲良くしているのを見かけると、とても気に入らないオーラを出して、それを見たメンドクサイ人認定した人達は益々話しかけない状態になっていた。なので規模拡大に苦労していた。
さて、そんなこんなで卒業式の時、器用な子は偶々ドブ世界の連中のちょっとしたパーティーに参加したくなり原さんに一緒に行こうと誘う。
しぶしぶ彼女も来るが、高校3年間でメンドクサイ人認定された彼女に話しかける人はほぼ居らず、話しかけても当たり障りが無い事しか言わない。器用な子はドブ世界の子と喋っているし、誰しも不機嫌そうな彼女に近づかずそのままパーティーはお開きとなった。
さて、その後原さんはどうなったのか自分は知らない。
循環にいた子も器用な子も彼女のその後などわからないという。
新たな循環型の池を作っているのだろうと推測して終わる。
拘りでもルールでもなく実は単なる支配するために選別しつづけて、人付き合いという複雑怪奇なものを自分の都合よく捻じ曲げた行為に気が付かなかった彼女の3年間は実に勿体ない事だったんだけどな、と思ってみる。
好きな人達だけで構成したい、その好きな人だけに好かれて、自分もその人達だけ好きになれば良いという単純明快で素敵な世界だけど実は他人を好きでいる行為を無視した事に気が付いていない。
好きな相手に自分の意見も気持ちも伝わる事が嬉しいのは勿論だが、本来は自分と異なる意見や気持ちがあってもそこの違いが楽しく愛せる筈なのだ。なのにそれは何処かに隠れている。
選別して違いをできる限り取り除き、カスタマイズされた世界を作る。しかし実際は相手には自分が相いれない意見や気持ちがある事に気付いてこれは違うと捨てる。はたまた目をつぶりすがる。
原さんはどちらもやっていた
逆なら?と思えばすぐ分かる事も欲しすぎた愛情で向いている方向がわからなくなる。
好きな人を上手いこと拘束して拘束して意のままにしても、いつか自分が相手に不要になるのではと不安を抱えて付き合うから、ただただ苦しみなのだ。
他人を自分の世界に組み込みたいという気持ちは誰にだってあるけど、それは関係を長続きさせない、つまり相手を嫌う努力を延々としている事だと原さんは気が付いたのだろうか。
呼び方なんて悪口でもないのに、やたら拘っていた彼女の相手選びは上手くいっているのだろうか。
原さんが佐藤さんや鈴木さんになって
あれほど発音に拘っていたことがなんてバカみたいと思って居れば幸いだ。
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