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クイナ

黄色い車を3台見ると願いが叶うというジンクスを覚えているのは、通勤するときいつも電車から駐車場が見えて、そこにイエローキャブと同じ色味のレクサスが停まっているからだ。そのとき、あ、1台目、と思う。

そこからさらに1分ほど走ると、また別の駐車場に赤い車が停まっている。黄色い車を3台見ると願いが叶い、赤い車を見ると叶わなくなる。だからさっき見たレクサスはリセットされる。


でも毎日通勤するから、次第に場所を覚えて、「あ、そろそろ黄色いレクサス」と思ったらスマホから目を離して、それが終わると目を閉じて赤い車を見ないようにしている、気がする。しかしそんなせこいマネをして願いが叶うのか分からない。



祈りや願いには切実さがいる。

伊丹十三の『静かな生活』という映画を見た。著名な小説家である父のもとに生まれた知的障害がある青年のイーヨーと、妹のまーちゃん、2人を取り巻く家族と周囲の人々の物語だ。大江健三郎の小説が原作で、家庭環境は実際のそれとほとんど同じだ。


そのなかで、父が祈りに関するエピソードを話すくだりがある。

イーヨーは6歳になっても何も話さず、こちらが何かを言っても全く反応を示さない。しかしなぜか鳥の鳴き声を収録したレコードにだけ関心を示した。

レコードは、鳥の鳴き声がしたあとに、アナウンサーの声で「(今の鳴き声は)カワセミです」と説明する教材めいたもので、父もひたすらそれを聞かせたという。

ある日涼しい森の中をイーヨーを肩車しながら歩いていたら、クイナが鳴いた。その鳴き声のあと、頭上で「クイナです。」という声がした。

父は驚いて、まさか、と思った。まさか、と思いながら、自分の考えが確信に変わるよう、「クイナがもう一度鳴かないかな」と思う。すると、またクイナが鳴いて、そしてまた頭上で、「クイナです。」と言う。

「私はそのとき初めて祈ったんですね」

というエピソードだった。


そのエピソードが私の記憶に引っかかっているのは、息子が喋れ、と祈ってるのではなく、クイナが鳴け、と祈っているところだった。






会社の人とランチに行って今度結婚する彼氏の惚気話を聞いていたら、その彼氏がバツイチであることを話の流れで知ってしまい、急に黙り、黙っちゃダメかと思って、また急に「まあそういうこともあるよね」と言ってしまい、



「サバの味噌煮定食、早く!!!!!!!!!!」



と祈った。

私のクイナはそんな感じです。




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