はじめに

 大人になると長い文章ってなかなか書く機会がない。ツイッターの字数制限にはついつい引っ掛かりがちなわたしであるけれど、それでも2、3ツイートで終わる程度のもので、1000文字以上のまとまったものはもう随分書いていない。めちゃくちゃ気合入れて書いていたYOIの二次創作小説も、残り3分の1ほどを書き残して2年以上前に止まったままだ。ユリアド早よ来て。

 そもそも学生時代のレポートや小論文なんかは「〇〇について書きなさい」というテーマが与えられるものだし、社会人になってからは報告という情報伝達が目的の文章になるわけで、じゃあ目的を持たない文章っていったいいつから書いてないのだろうか。自主的に日記というものをつける習慣のない人生だったので、下手したら小学校時代の夏休みの絵日記が最後かもしれない。いや、それも正直、ちゃんとやったのかかなり怪しい。

 そういえば大学生のころ、課題として各自匿名のエッセイを書いてきて、その感想をグループに分かれて話し合うみたいな授業があったのだけれど、わたしのグループにいた後輩女子学生にたまたま拙作が刺さってしまったようで、彼女は意図せずして筆者へとても熱い感想をくれた。ただ、それは嬉しいというより、「この結びの文の余韻が~」と圧高めのテンションの彼女と、「あーうん……」みたいな他メンバーの若干引いた物腰のギャップに、正直、公開処刑みたいな気持ちだった。もちろんそこで「あ、それ書いたのわたしです」なんて言いだせる胆の太さは持っていなかったので、「もうやめてくれえええええ」と内心叫びながら「なるほど確かに~」とか平静を装った相槌を打ったりして地獄の時間をやりすごした気がする。

 ともかく、あのときのエッセイもかなり苦労して書いたような記憶がある。小論なんかは割に得意なほうだったので、伝えるべき内容がない文章を書くのがわたしは苦手なんじゃないかと思う。現にこの800字書くのに既に1時間かかってるしな。久々に長文を作ると作文筋の筋力低下がやばい。日本国籍離脱しちゃいそう。こんなんじゃ絶対続きませんね。そのうち飽きて少女漫画育ち丸出しの恋愛小説とか書きはじめるかもしれない。ちゃおに載ってるようなやつ。

 ああ、あと日記的なものを公開する恐怖ってずっとあって、ひとの考えかたって随時アップデートされていくものだと思うのですけど、文章にして公開すると、それがそのひとの考えかたとして認識が固定されてしまうというか、既にBの意見に変わっているのに「このひとはA派のひとだ」と思われたままになってしまうのが怖いというか。こころのうちのことなので、こちらには訂正するすべもないですしね。

 なので、ここの文章についてはずっと無責任でいたいなあと思っています。気分によって善し悪しなんて簡単に変わるし、寝て起きたら好きも嫌いも逆転していることだってよくあることです。

 あ、あと心掛けたいことは裸んぼでいることでしょうか。ツイッターって短文なぶん、その余白をつい素敵な想像で埋めがちです。マスクしてるひとはみんな美男美女に見える現象と一緒ですね。脳は見えない部分を都合のいいように補完する機能があるそうです。そしてわたしもとんでもない見栄っ張りなので、つい格好つけたことを言いたくなります。別に格好つけたくなったらつければいいんですけれど、とにかくそとみではなく自分の欲求に素直な文章を作りたいなと思いました。じゃあまずこの語りかけるような敬体をやめねば。最初はいい感じに常体でいってたのに。1つの作文のなかで敬体と常体を混在させるのは減点ですって小学校で習ったよね。ちなみにわたし、最近読んだ本の文体がそのまま自分の文体に現れるという安直さなので誰の本読んだかすぐバレそうでめちゃくちゃ恥ずかしい。話してる相手の方言がうつるひとみたい。

 さて、というわけでなんの目的もなく、なんの意味もない少しまとまった量の文章を書くという練習、お互いに一時のお暇つぶしになればさいわいです

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