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シネ・ヌーヴォの歴史⑤


維新派がつくった映画館

シネ・ヌーヴォの場内は“水中映画館”がコンセプトのアート映画館となっています。その施工にあたったのは劇団・維新派で、その棟梁は維新派座長の故・松本雄吉さんでした。その原点となったのが「千年シアター」です。
 
映画新聞時代の1987年7月、京都で映画『1000年刻みの日時計』ロードショー専用の映画館として「千年シアター」(100席)をオープンしました。1カ月の興行終了とともに解体したこの映画館の建設にあたっていただいたのが、松本雄吉さんでした。土と藁と丸太で出来た千年シアターは、小川紳介監督作品『1000年刻みの日時計』の舞台である山形県上山市牧野村の世界をそのまま持ってきたようなロマンあふれる手作りの劇場でした。
 

千年シアター


しかし、土と藁と丸太で出来ていたがために、完全な暗闇とはならず、いつか真っ暗闇の映画館をつくることが、松本さんにとっても私たちにとっても、ひとつの夢として残りました。図らずも、それから10年後、夢が実現する日が来ました。それがシネ・ヌーヴォだったのです。
 
シネ・ヌーヴォの改装期間は年末・年始を挟んだ1カ月間だけ。“水中映画館”をコンセプトに、天井を水底から見上げた水面と見立て、そこに浮かび上がる水泡を針金のリングを重ねつるすことで表現。座席(水底)に近づくほど暗くなる壁面は、まさに水中映画館。非日常空間として、時間を忘れ、映画に集中して観ていただける場となりました。そして、水面たる天井は、「ヌーヴォだからアール・ヌーヴォー調で」(松本さん)。遊び心も満載に、お洒落でシックで清潔な、それでいて観やすさを重視したアート空間が誕生しました。


2022年11月、照明工事の際に組んだ足場から


 
玄関周りのブリキで出来たバラのオブジェの造形物は、今やシネ・ヌーヴォ名物となっています。このオブジェはオープン当初から少し錆びさせてあります。そうさせたのも松本さんの思いから。それは、「僕たちは無機物としての館内をつくっただけだ。それを有機物にしていくことが君たちの仕事だよ」。この松本さんの言葉は、今も私たちの座右の銘です。松本さんは、2016年に69歳で死去。維新派の公演は、その都度、劇場を建設し、公演が終われば劇場も解体。唯一残るこの劇場(シネ・ヌーヴォ)を、私たちはこれからもより人間くさいものへと育て続けたいと思っています。



 
次回シネ・ヌーヴォの歴史⑥は「これまでの歩み」です。
 


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