ニーバーの祈り2

先日のニーバーの祈りの続編です。

話が噛み合わなかった件ですが、またひとつの解にたどりつきました。
人を見ている視点も、会話の仕方も、ここでのやりとり(?)も、彼の「素の状態」だと、全く噛み合っていなかった件です。

参考資料


その上でどう向き合うか?

これもニーバーの祈りで例えたら「変えられないもの」の部類に入ると思うので、「へー、あなたはそう思うんだね」で終わりにする。
こちらから見たら事実無根のあれそれを言っているように見えるのですが、相手の中ではきちんと整合性があるのです。そして、向こうから見たら、こちらがそう見えるのです。お互い相手の視点に立つのは難しいけど、受け入れることはできる。
その上で、相手の考えにひっぱられないこと。
定型が大多数の社会では、向こうの考え方に合わせると、生きづらくなります。逆に、向こうが定型に合わせると、個性がなくなり活躍できなくなります。
私のような”両方の世界を知ってる方々”は、通訳となって定型と発達との間を支えていくくらいの心構えでいると、うまく社会が循環するんじゃないのかなと思いました。

以上、どちらかというと、対局的に物事をみがちな筆者でした。(真逆ですね)