Le dimanche 5 mai 2024

2年ほど前、ビクトール・フランクルの『夜と霧』を読んだ。

当時の私は、裏切りを感じていた。

私をどんな時でも見守ってくれると思っていた人から、

私の全てを否定される経験をした。

相手はそんなつもりがなかったかもしれない。

それは相手なりの優しさかもしれない。

そんな言葉はいらない。

私は、それから2年ほど、いかにその人から離れるかを考え続けなければならなくなった。

関係を修復する選択肢はなかった。

それができる場合とできない場合が存在することを知ったし、人によってはその状況でも可能であることを知った。

その時の私は、自分には味方がいないと思っていたし、一人になりたくてたまらなかったし、

死にたいまでは思わないけど

とにかくどうすればいいかわからなかった。

不安定だった。

そんな状況に追い込まれた時、たまたま手に取った本が『夜と霧』だった。

普段生活しているなかでは、入り込みづらく、継続して読むことができなかったと思う。

その状況だったからこそ、私はこの本にを読むことができたのだと思う。

かなり客観的に過酷な状況が描き出されていたので、

必要以上に感情移入することはなかったし、

それでもその文章にのせた筆者の想いを汲み取れるような

そんな本だった。

人はそれぞれその人にとっての地獄を抱えている。

そして私も私なりの地獄を抱えている。

その地獄に優劣や大小はない。

その人自身が地獄だと思うなら、

それは地獄。

私はその後、地獄を脱するために行動した。考えた。

現在はあの状況から離れたが、今でもふと思い出しては辛くなったりする。

でも私はちゃんと離れた。

もう、大丈夫なんだ。

まだ逃げきれていないかもしれないけど、

今この瞬間、私はとても穏やかだ。

大丈夫だからね。

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