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文YK2(Yukako Horikiri)

今回は、他のメンバーの記事について思ったことを書く記事です。
それぞれの国のそれぞれの文化について情報を垂れ流すだけでなく、お互いにフィーッドバックさせてはどうか?
ということで試みました。

取り上げるのは Rin Tsuchiyaさんの『布施と科学』です。
スペインの人々は週末ミサに出かける。
そのため、街はお休みモード。なんだか羨ましい。
人々の生活と宗教が身近な地域では、信仰の方法も進化しているようです。
日本だと、伝統と新しい技術が融合することに抵抗感が抱く方も多いかと思います。
しかし、文化をそどうアップロードさせていくかを考えるときにあるのではないでしょうか?

Rinさんの記事では、お供えにロウソクではなく、ロウソク風ライトに明かりを灯す教会があるとありました。
実際の火よりも火事のリスクは下がりますし、また資源も削減されるなどいくつかのメリットが挙げられますね。

日本でも茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮では、神社が発行しているクレジットカードでお買い物することでそのポイントが神社に寄付されるシステムを導入しています。修繕費や維持費がかかる神社に、効率よく寄付できるシステムだと思います。

また、アジアの寺院ではお賽銭がQRコードでできる。
確かに中国ではキャッシュレス化が進んでいて現金を持たない人もいる。
でもお賽銭は習慣として残っているから、日常生活と同じような感覚で電子マネーで。
おさい銭が支払いと化してないかと少し疑問に思うけれど、宗教と日常の距離感が近いからこその発想なのかもしれない。

気持ちが変わらなければ、信仰の方法が変化しても構わないと考えています。古くから形を変えずに残っていることは価値あることなのかもしれませんが、形骸化することで伝統と現代の距離がどんどん離れていってしまう危機感があります。人間が生んだ人間の生活に近いものであるはず

神社で夏祭り。小さい頃は縁日の屋台が楽しみでした。
最近は屋台を禁止したりしなかったり。
あの頃は祭りがどういった理由で存在しているのか考えたこともなかったけれど、夏や秋に感じる特別な季節感は肌感覚で覚えていく。楽しい感情や感動があってそこから歴史を学んでいくという文化との繋がり方も方法の一つではないでしょうか。

神社→神聖な場所→立ち入れない場所
のように、閉じた場所としての認識が広まってしまえば、そのような文化は化石化してしまうでしょう。
化石化してしまえば儀式や、習慣は形だけとなり意味のわからない難しいものになってしまうかもしれません。
神社は人々が集う場所でした。親しみやすい場所であり、時代によっていろいとな使われ方をされてこそ、文化が生まれていく場所だと思うのです。

しかし私たちは儀式によって、物理的な感覚によって信仰を実感しているのかもしれません。
火や、水がデジタルに置き換わってしまうことで、伝統や文化も書き換えられて変化してしまうのでしょうか?

古い形をそのままで残そうとするからそういうことになる、なぜお賽銭をあげるのか、なぜろうそくに火を灯すのか、なせ参拝する前に手を洗うのか、なぜ御朱印をもらうのか、、、
今残っているひとつひとつの行為を今一度なぜを、考える必要があるようです。
そしてそれを現代人の生活になじみやすいようにアップロードさせていくことができれば伝統は形を変えて残っていきます。
反対にそれを形だけ残す化石と化せば、今の生活文化と歴史との繋がりはどんどん失われていってしまうかもしれません。

変化と消えるは決定的に違うのです。

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