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『自分らしさ』の正体。

#306  ミステリー劇の演技者


”自分らしく生きる”
ってことを、今までお話したり書いたりしてきたけれど。

実は、
”自分らしさ”なんてものは無い。とも思っています。

風の時代は、
自分らしく生きる、ことが神聖化されすぎていて、

自分らしさ探しが目的になってしまったり、それで疲れちゃったり、

自分らしい、という言葉だけが独り歩きして、
誰かを傷つけてもそれが多様性だと言ってみたり
自由と自分勝手を履き違えたりということもあります。

あとは、
『人と違うところ=自分らしさ』
だって勘違いして
やたらとちょっと変わった自分を演出したり、突出しようとしたり、
トリッキーな様子を自分らしさだと思ってみたり。


私は、
『自分らしさ』は人様が作ってくれるもの。
だと思っています。

私自身が自覚している私らしさ、というのは実はありません。
だから、

「自分らしく生きましょう!」って言われると
「自分らしい、ですって???」ってなる。

(人には、自分らしく生きましょうって言ってるくせに!!!)

誰かが、星よみのellyさん、として扱ってくれるから、星をよむ人だし、
誰かが、「あなたは頑張り屋さんね。」と言ってくれるから頑張り屋さんなのだろうし、
誰かが、「温かい人だ」と言ってくれるからそうなのだろうし、
誰かが、「言葉に気づかされる」と言ってくれるから書く人でいさせてもらっている。

自分の息子に母親にしてもらい、母には娘にしてもらっている。

だから、私の自分らしさは
星を読んで、頑張り屋さんで、温かい人で、言葉で気づきを与えられる人で
お母さんで、娘です。

そんなもんです。

自分らしさ、という言葉が大きくなりすぎて
しんどいなぁって感じる人は
誰かが言う自分、も、自分らしさに加えてしまってもいいんだと思う。

もちろん、自分がやってて居心地の悪いこと、五感が抵抗することは、
採用しなくていいんです。


そして、そういうふうに
誰かの言う自分で、自分が作り上げられると
ふと、誰でもない自分、何者でもない自分、みたいな自分が出てくる時があって
それが実は『いちばん自由で何者にもとらわれない自分』だったりして楽しいです。

自由な自分も含め、
自分らしさはひとつじゃないと思います。
本当の自分、もひとつじゃない。

ひとつだと思って探すから迷うし、わからなくなるのかもしれません。

自分らしさって何か
はよくわからないけれど
自分らしく生きれているな。のバロメーターみたいなものは
みんな持っておくといいと思います。

私の場合は、
『どんな自分でいたとしても、無理をしてないか。』です。

とにかく何でも
〇〇しすぎ。をやらないようにしています。
(たまにはたかが外れますが。)

無理をすると、ある日突然、虚無るのですw

でもこれは、私のバロメーター。
他の人なら『いつもご機嫌ならどんな自分でも良い』もかもしれないし。


あるかも!って探し続けて見つからない『自分らしさ』
まるで徳川埋蔵金のようではありませんか。
探し続ける?どうする?

愛をこめて
elly



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