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オンラインで人と繋がること。

顔が見える繋がりが大事と、人付き合いの基本として言われます。

長くなりますが、まずは自分とオンライン(インターネット環境)の出会い、オンラインとのこれまでの付き合い方について話をさせてください。

PCを手に入れる小学5〜6年生くらいまで、自分の身の回りにいる人は、家族と、先生と、60人くらいの同級生、姉の同級生60人くらい、ご近所さん、習い事の先生、友達、母の友達、多くて200人くらいでした。
最寄り駅まで自転車で30分程かかる田舎で、バスは1時間に1本あればいい方です。

趣味の読書のジャンルが似ている友達は、そのうち1人で、ゲームも家に1台のゲームボーイを姉と取り合いです。

それが、オンラインの世界では、同じジャンルの本が好きな人が沢山いて、自分の好きな本の話をしたり、作者のホームページの掲示板でキリ番を踏んだだの話をしていました。そこでは、誰でも発言していい世界です。いきなり1億人以上の人と繋がることができます。

衝撃でした。

親が変わっているのか、うちのPCは、買ってきたからあなたがセッティングできるなら自由に使っていいよ、というスタートでした。
FMVのバザールでござーるのさるがついた説明書を首っぴきで組み立てて、雑誌を頼りにディオンでダイヤルアップの契約をしました。

自分がPCの責任者で、親に頼まれて書類を作成したり、使い方を聞かれることもありました。
友達の家のPCのセッティングを頼まれたりするなど、いわゆるパソコン博士の時代です。

そこで将来的にソフトやハードの開発部門に行っていればいいストーリーなのですが、そうは行かず、多くのユーザーと同じく、少し知識があるユーザーとして中高時代を迎えます。

中学時代は、閲覧専用(いわゆるROM専)で、ヒカルの碁の影響で少しネットゲームをするぐらいでした。

高校時代、リアルで知り合ったまちづくりの仲間とやり取りするために、メッセンジャーやSNSを導入しはじめます。
並行して、一つのネットゲームの掲示板というか、チャットルームに入りびたり、10人くらいのコアメンバーと毎晩チャットし、一度だけオフ会をしたこともあります。

大学時代は、授業やアルバイトがあり、友達がみんな近くに住んでいるという筑波大生のあるあるで、会いたい人にはすぐ会えるので、オンラインにはあまり入りませんでした。研究室内のやりとり手段としてメッセンジャーを使うこと、携帯電話でメールをするくらいです。

色々あって、卒業して一年間、実家で公務員浪人をすることになり、環境がいきなり小中時代に戻ります。(ど田舎で、自分用の車がなく、お金もない引きこもり生活)
ここで活躍したのが、メッセンジャー。WEBカメラやマイクを購入して、離れている友人と顔をみながら家で勉強ができました。公務員予備校もオンライン授業(録画式)で、家から出ない生活を満喫します。

その後、就職すると多少のお金もあり、一人暮らしで自由に移動できるため、またオンラインから遠ざかります。

結婚して子どもを産むと、3DKのアパートに閉じこもり生活がはじまります。地元からも職場からも遠い地で子どもを産んでしまい、日々は子ども一色で目新しいことも人と話すこともなく、オンラインもいつ子どもが起きるか分からないので閲覧専門の生活です。

育休から復帰して、1年が経ってようやく元気が出てきて、未就学児連れでできる限りのことをしているのが、今になります。

閲覧専門の時代も長いので、SNSで投稿が頻繁な人について、何となく身近に感じる気持ちと、少し鬱陶しく感じる気持ちと、色々あるのは承知しています。

ですが、その中で、自分に近い方の活動的な投稿には日々励まされてきました。すごいな、自分にはできないなと思いながら、いつか自由な時間ができたら何かしたいと思い続けてきました。その結果、できることは少ないですが去年から少しづつ動きはじめました。

オンラインが無くても生きていけますが、オンラインがあるからこそプラスになる関係、そしてオンラインで乗り越えられる壁について、話をしてみませんか。

オンラインでも、顔が見える繋がりは作ることができると信じています。

そうしてできた繋がりで、またどこかでお会いしましょう。

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