本当は哲学科に行きたいって話。

恥ずかしながらこれまで生きてきて、
「人の、世の中の役に立ちたい」
と思ったことが一度もない。

私の親は気の毒なもんだ、娘がこんなことを堂々と書いているんだから。

しかし私から言わせればこの世の中は、「実生活に生かされる!」だの「〇〇の役に立つ!」だのといったことばかり重宝されて辟易する。
頭が痛い。
まあでも、役に立つということは褒められるべきことであって、私みたいなもんが勝手にうんざりするのはお門違いですね。勝手に頭痛に苦しむことにします。 


ところで私は前まで哲学科に進学したいと思っていました。まあ、わけあって志望を変更しているんですけどね。

この哲学っていうのは学問の中でもまあ軽んじられがちなんだなぁ。
そりゃあまあ別に哲学の研究をしたところで、がん細胞が消えて無くなるわけでもなければ、アフリカの子供達が満腹になるわけでもない。

たしかに哲学は現実の世界ではありえない前提の議論なども沢山ある。これから私の好きな思考実験の1つを紹介しますね。
これは『メアリーの部屋』と題された思考実験です。
概要はwikiのスクショを貼るので読んでくだせえ。

もちろんメアリーのような存在をつくりだすのは現実世界では不可能なんですけどもね、私はこういうことを考えるのがすごく好きなんですよ。
私はこの思考実験と出会うまではずっと、人間は物理的なものとして世界を認識し、私たちの感覚は脳が発している電気信号によってつくられていると思っていました。
この実験は私の今まで信じてた世界を破壊してくれたのでした。全員にこの気持ちが伝わるかはわからないけれど、私はすごく感動した体験だったんだよね。

そこに哲学を学ぶ意味があるんじゃないかなぁと思っている。今まで生きてきた世界を疑うっていうのは結構大切なことなのかも。

色々なことを疑い続けることが哲学なのけれども、人間にとっては煩わしいことかもしれない。
人間は「自分が善人だ」ということを信じたい生き物だし、それを疑うというのはなかなか苦しい。
しかし、(ソクラテスの考えを借りて語るのだが)いちど「自分が善人ではない」ということを受け入れて"本当の善良"とは何かを求めていくのが成長である。それこそソクラテスが説いた「無知の知」でしょうよ。

最近は正義を振りかざす人が沢山で、なんだかなぁと思うことも個人的によくあります。
しかし、あなたの信じて疑わない正義は本当に間違ってないだろうか。あなたは本当に善良な市民だろうか……。

うーん、こういう話は意見文っぽいからここではよそう。


話は戻って私自身の話になるけれども、強いて言うなら私は文章を書くのがみんなよりも好きなんだと思います。
しかし、意見文が得意じゃない。よく人に「あなたならすぐに書けるでしょう」と言われるけど、あれは本当に無理だね。
意見文っていうのは実際の問題を取り上げて解決策やら私たちに出来ることやらを書くのがお決まりのパターンだけど、私は実際に起こってる問題を解決することにあまり興味がない。多分こういう奴は今の社会にあんまり必要とされてないんだろうな。

でもみんなが役に立つことを考えなくったっていいじゃないか。
この世の中には二通りあると思う。
誰かの役に立つために何かを探求する人と、
探求したことが後に誰かの役に立つ人。

私が考えてることが少なくとも、いずれ、巡り巡って、将来や他者の役に立てばいいなってくらいには思ってますよ。
だから私はまだ哲学を学ぶことを諦めてはいませんよ。まあ、なんとか頑張っていきます。


ちょっと長くなったけど、真面目な話をしてしまったけど、読んでくれた人はどうもありがとうございます。
最後にこの話をするきっかけをくれた友人のHに感謝を述べます。ありがとう。

ほんじゃあね。

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