座敷中年。

机の脇に本を積み読みもせず埃を払いさえしなかったが、誰かが本に触れば「決まった並びと言うものがあるのだ。と、不機嫌に為る。
約束があれば外に出る洋服が決まらぬと逡巡し、着ては脱ぎ、手に取ては投げ、時間は疾うに過ぎているのに自らは連絡を寄越さず来た電話には「直ぐに出る。の一言。
晴れれば「陽が眼に辛い。と、踵を返し、雨が降れば「音が癇に障る。と、顔を顰め窓から遠くに座り込み。風が吹けば「そよぐ髪の気に入らぬ。と、出もしない。
往来では安っぽい強面と奇な髪形を人払いに使い孤独を防具とする。が、家に戻れば胸襟どころか扉を開け放ち誰が入ろうとも構わぬところがあった。
実直な感情も持たぬでは無いのだが、発露される其れは生来装った体裁と羞恥心によって捻じて居るのが常であり「如何して俺は理解されないのだ。」と、悩みの種に成るものだから、次第に表情とは切り離して生活を送る様になった。
然し真に孤独を愛するのならば、目立つ髪形で酒場のカウンターに居座り安酒を呷っては交友の広い店員と人に聞こえるようになど話さぬ筈で、そう、実際、面倒な男であった。
随にする事を嫌うくせに、ささやかな理由を重ねて自室に篭り、あらゆる謎の表層を浚っては、隣や斜向かいの謎と関連付け喜び。万人に普遍であると思い込んだ言葉を紙に認め壁に貼るだけなのだから、五年、十年と続ける事で、益々一人拗け。
終ぞどうやって外に出ればよいのか、やって来た人と話し始める言葉は何か、ちっとも浮かばぬ様に成ってしまった。
決心して人に関わろうとした事は幾度と無くあるが、出だしの好調に兎角言い訳をつけては休み、人の目に怯え竦み、偉大なる人間の記した文章に感化され、奴らとはそりが合わぬのだと逃げ出しす。
今では酒も呑まずに自分の不幸へ酔っている。

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