私の好きな人、私の好きな音楽。
私の好きな人。
笑っているあなたが好き。
感情豊かなあなたが好き。
薄化粧のあなたが好き。
生き生きと踊るあなたが好き。
踊るように歌うあなたが好き。
瞳をキラキラ輝かせるあなたが好き。
いつも周囲を優しく気遣うあなたが好き。
「名は体を表す」を体現するあなたが好き。
私たちへの愛をたくさん届けてくれるあなたが好き。
「やりたいことをやって」と言ってくれるあなたが好き。
私の好きな音楽。
ノリノリな明るい曲調が好き。
平和で健康的でハッピーな世界観が好き。
口ずさみたくなる美しいメロディが好き。
Bメロからサビにかけての盛り上がりが好き。
ハモりパートとコーラスが好き。
ラスサビの転調が好き。
突き抜けるハイトーンが好き。
どこまでも響く透き通った歌声が好き。
背中を押してくれるポジティブな言葉が好き。
日々に寄り添う御守りみたいなワンフレーズが好き。
楽曲を聴いてから過去のインタビューを再度読み返し、この楽曲は、ソロ活動だからこそ生まれたのだと再認識した。
圧倒的なプロ意識を持つ彼は、一人の人間としての自分とは切り離して、グループの一員としての"J-HOPE"の役割を創り上げてきたのだと思う。
最近彼がよく口にする「自我」という言葉。
グループとしても成熟してきた今、それを充分に表現するためにはグループ活動から離れることが(少なくとも彼の中では)不可欠だったのではないか。
MVに居た彼は、私が知っている彼とは何もかもが違っていた。
見たことのない表情、声、歌い方。
少なくとも希望というワードとは似つかわしくないイメージであることは確かだ。
しかし、彼は「変わった」わけではないと思う。
上述した通り、彼はグループの一員としての"J-HOPE"であり続けたけれど、グループの成長とともに彼自身もたくさんの経験を重ね、感性を豊かにし、新たな表現を模索してきたはずだ。
私たちが見てきた"J-HOPE"は一人のアーティストとしての彼のほんの一面であり、今までグループ活動ではあえて表に出されなかった別の一面を、今回の楽曲を通して見せてくれたにすぎない。
その経緯はまったく不自然ではないし、むしろ本当にありがたいことだ。
そして、どれだけ楽曲の雰囲気が新しくとも、その言葉の端々には彼らしさがにじみ出る気がする。
例えば、彼はよく「学ぶ」という表現を使う。
先月出た新曲でも、最近の複数のインタビューでも、もちろんこの楽曲でも。
単に「知る」とか「経験する」とかではなく「学ぶ」という言葉をチョイスするところに、謙虚で真摯な彼のスタンスがそのまま表れているように感じる。
だからやっぱり私には、彼が「変わった」ようには思えないのだ。
変わらずあなたは、私の好きな人。
グループの一員という役割から離れ一人のアーティストとして真っ先に私たちに届けてくれた言葉が"I'm thirsty"で"I want some more"で"I'm still not enough"だということ。
それはつまり、この楽曲はまだ序章に過ぎず、ここからさらに拡がるあなたの世界が待っているという宣言だ。
もうそういうところが、たまらなくかっこいいんだよな。
ありがとう、新しいあなたを見せてくれて。
ありがとう、今のあなたの言葉を聴かせてくれて。
ありがとう、これからも進んでいくと約束してくれて。
私の好きな人。
パフォーマーであるあなたが好き。
クリエイターであるあなたが好き。
プロ意識に満ち溢れたあなたが好き。
すべての経験を己の糧とするあなたが好き。
貪欲に成長と革新を求めるあなたが好き。
周囲へのリスペクトを忘れないあなたが好き。
ひたむきに努力し進化し続けるあなたが好き。
ステージで主人公になるあなたが好き。
「やりたいこと」をやってくれるあなたが好き。
その姿を私たちに見せてくれるあなたが好き。
この楽曲は「私の好きな音楽」には当てはまらないかもしれない。
それでもやっぱりこれを叫んでいるのは「私の好きな人」だ。
曲調も、世界観も、言葉もすべて「私の好きな人」の意志で、メッセージで、宣言なのだ。
だから私には、この楽曲を聴かない理由が無い。
この楽曲は、大切な大切な「私の好きな人の音楽」だ。
He is still not enough.
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