二周年記念によせて

一目惚れだった。

二年前の今日、職場の後輩が「最近ハマっている」と紹介してくれたグループ。
全員が抜群の歌唱力と美貌を兼ね備える彼らの真ん中で、黒いレースのスーツを上品に着こなし美しい高音を響かせるその人の魅力に私が気付くには、一曲あれば充分すぎた。
声、歌い方、お顔立ち、表情、スタイリング、すべてが私の嗜好ど真ん中を貫き、その日私はまた新しい「推し」に出逢ってしまった。


私には他のグループにもいわゆる推しがたくさん居るが、それを選ぶのにはたいてい時間がかかってきた。
そして最終的に一人に絞りきれず、必ず複数人をそれに認定してきた。
ルックス、歌唱力、ダンス、声、人柄等好きなところやその理由は様々であるため私にとっては一人に絞るほうが難しかったし、グループ全体を愛したうえで「特にこの人のこういうところが大好き!」と堂々と宣言しその人の魅力について満足するまで語れるようになることこそが、私の喜びだったのだ。

でも、彼の場合はまったく違う。
どんなグループより多い人数を擁しながら、私には最初から一人しか見えていなかった。
そしてその理由も上手く説明できなかった。
初めて見たときの衝撃から変わらずシンプルに顔と声が大好き、というのは事実なのだが、それだけでは足りないような謎の引力が彼にはあった。
小さな画面に映る彼を見るたび、いつも大きすぎる感情で持ち合わせた語彙が吹っ飛んでしまう。
彼に関する情報を摂取しすぎるとしんどくなるため、SNSもフォローできない。
理性的な嗜好分析を飛び越えて、半ば脊髄反射でたった一人に惹かれてしまう初めての経験に私は戸惑った。
加えて、誕生日が一日違いとか、学生時代の類似経験とか、思考や立ち居振る舞いに共感できる部分があるとか、そういう運命めいた巡り合わせが、余計に私を狂わせた。

彼は特別だった。
推したちに序列があるわけではないので一番好きだとかそういう話とはまた違うのだが、とにかく、彼の存在によって私は変わってしまった。


そんな特別な彼に初めて会ったのもまた、特別なシナリオによって辿り着いた特別な場所だった。
初めてのソウル遠征、初めてのチケッティング、公演直前のデビュー日に掴み取ったチケット。

自分が彼を愛するたくさんの理由をこの目で確かめることができた喜びに涙した一方で、私は恐ろしくもあった。

大好きな人が、大好きなお衣装で、大好きなビジュアルで、大好きな歌声で、大好きな表情で、大好きな楽曲を歌うことが、愛おしさを超えて苦しかった。
何もかもが完璧すぎて。
私の理想のアーティスト像が具現化されすぎていて。
完璧な彼のすべてを愛おしく思う一方で、その勝手な「理想」を、偶像としての彼に無意識に押し付けてしまうことがひどく恐ろしかった。

You are my/ぴま(note)

大好きな人に初めて会えて幸せいっぱいだったはずの公演後、私は嗚咽を漏らしながら号泣していた。
「好き」の気持ちが募りすぎて、これ以上どこまで大きくなってしまうのかと怖かったのだ。

その後、幸いにも日韓でさまざまな公演があり、私は何度も彼に会いに行くことができた。
しかし、回を重ねて見えてきたものは、必ずしもポジティブな感情と結びつくものばかりではなかった。

涙と感動が必ずしも相関しないのは大前提として、ただ結果的に今日が一番泣いてしまった。前半、あなたがなんだか悲しそうな、辛そうな顔をしていて、オタクは余計な心配ばかりしてしまうのに、歌声はすべて大正解で完璧であまりにも素晴らしくて、もう何もできずにその場で泣き崩れるしかなかった。
もう全てが完璧すぎる。カラオケの精密採点で全ての音がキラキラ光る演出になるくらい、全部ピッチが完全に正しくて全部音符の上を歌っていて、一周回って怖かった。すべてパフォーマンスでねじ伏せられた。その強大なプロ精神と圧倒的な表現は、私にとっては「盛り上がり」の域を超越していた。

2023.09.17/ぴまに(X)

私が行く日、彼はいつもどこか元気が無さそうで、でも私の心配をよそにピッチは完璧で歌声は最高でビブラートはどこまでも響くので、私が知らなかっただけで彼は歌唱以外に余計なエネルギーを使わない職人タイプなのかもしれないと自分を納得させようとしたが、今日はすごい元気だったそうで良かった。
あなたが元気ならそれで充分だし、笑って舞台を、音楽を楽しめることが一番大切で喜ばしいことだけれど、欲を言えば今度は私もそんなあなたに会いたいな。どんな状態でも絶対に最高のパフォーマンスを見せてくれるプロ精神が大好きで心から尊敬しているけれど、そりゃ笑顔のあなたがもっと好きだよ。

2024.01.08/ぴまに(X)

あくまでこちらが見えるものだけでしか判断できないが、彼は「歌うこと」に対しての使命感と責任感がものすごく強く、またその行為が彼自身の自己肯定にも繋がっているように感じる。
「楽曲を完璧に歌い上げ、歌の力で聴き手に良い影響を与えること」が自身のミッションであり、それを果たすことこそが自身のもっとも大きな存在意義だと思っているような、そんな印象を受けることも少なくない。
特に2023年の後半はさまざまな場面で彼が担うものが非常に大きく、元来の真面目さも相まってその重責やプレッシャーによる心労がこちらにも伝わってくるように感じたことも何度もあった。

やや話が逸れるが、私が今まで好きになってきたのは、たいてい「ビタミン」「ハッピー」「太陽」「女神」のような形容が似合う、いつでも元気!弾ける笑顔!明るく賑やかなムードメーカー!という印象が強い人々だ。
すべてのネガティブ感情が消えてしまうようなそのハッピーオーラを全身で浴び、いつでもハイテンションでステージを盛り上げてくれる彼(女)らに対して全力で歓声を上げることで応える、健康的な幸せの好循環が大好きなのだ。

だから私はステージ上で「推し」があまり元気がなかったり、悲しげな表情を浮かべたりするという経験自体が初めてだった。
ぜったいにパフォーマンスには影響させないという信頼と実績があるので、何があろうといつでも最高で完璧なその歌声とプロ魂に拍手を送り続けるしかないのだけれど、まるでずっと何かと戦っているような推しを見続けるのは、正直少ししんどいとも思ってしまう。

そしてそんなとき、かつての自分自身の警告が蘇る。
これは自分が創り上げた理想を、偶像としての彼に押し付けているだけなのではないか。
勝手に期待して勝手に失望して、ただ自分の欲望やエゴで自分を苦しめているだけなのではないか。
私なんかが想像できないほど大きすぎる重圧を彼が背負っていることも知っているし、そもそもキャラクターなんて人それぞれなのだし、ただでさえ多くのものを与えてもらっておきながらこれ以上何かを強要するのもおこがましいし、でも、だったら、この感情は「悪」なのだろうか。
かつて感じた、彼のすべてが大好きで苦しかった感情とは違う苦しさに苛まれることに罪悪感すら覚え、以前のように彼をまっすぐ愛せなくなっているのではないかとときどきよく分からない不安が押し寄せる。


さて、ここまで読めば完全に私は厄介な激重拗らせ単推しオタクである。
だが、いろんな葛藤が時にありながらも、基本的には私は毎回元気に公演に参加し、幸せの好循環を存分に味わって満たされた気持ちで帰った。
それは、彼らが「グループ」だったからだ。

明日も行けるなら喜んで行くけど、私はこの三日間で抱え切れないたくさんの愛とパワーを貰えたから十二分に満足だ。夢のようなお祭り騒ぎをありがとう。大好きなあなたをもっと好きになって、よく知らなかったあなたを大好きになった。

2023.09.16/ぴまに(X)

ペンミは一人で一人のことだけを考えていたけど、この四ヶ月に様々な経験を意外としていて、もう私が観たい人は一人だけではなくなってしまった。

2023.11.25/ぴまに(X)

今日は意図的オルペン人格で臨んだけど、それで良かった、それが良かった。

2024.02.11/ぴまに(X)

最初は一人しか見えていなかったけれど、公演、コンテンツ、カムバ、さまざまな経験を通して、私はいつの間にかグループそのものと、メンバー一人ひとりを想像以上に愛するようになっていた。
ぜったい無いと思っていたメンバーを二推しに認定せざるを得なくなり、眼の前で踊るリーダーの迫力から目が離せなくなり、真面目な顔でまっすぐ前を向いて立つ妹の推しのかっこ良さに涙し、母語で愛と魂を伝えてくれる存在のありがたみを痛感し、今は二次元でしか会えない長男とのリアルタイムの再会を公演のたびに強く願った。
それは別に浮気だとか想いが小さくなったとかそういうことではなく、むしろそれが今までの私の通常運転だったので安心した。
私はやっと、スタートラインに立てたのだ。
いろんな経験を経た結果、一人ひとり魅力に溢れた彼らを尊敬し丸ごと愛していると心から宣言できるようになったこと、それが何より嬉しかった。

そのうえで。
公演に行こうがカムバがあろうが、彼の姿を見てその歌と音楽を聴くと、やっぱり私にはこの人しかいないという揺るぎない事実を突きつけられる。
どれだけ他メンバーの名前を叫ぼうが、大画面に映し出されるファンサに腰を抜かそうが、ペンライトとうちわに刻むのは、たった一人の名前だけなのだ。


彼らのライブは、行くたびに自分の中で彼らが再定義されていく感じがする
まだたった数回しか会っていないのに、その印象や自分への影響みたいなものが毎回変わっていく

2024.02.11/ぴまに(X)

ちゃんとここまで来られて、良かったな。
あまり他のアーティストでは思わないのだが、彼らとの思い出が増えるたび、ファンとしての自分の良い意味での変化を感じる。
最初はわけも分からずただ一人だけに夢中だったけれど、他メンバーも含めた一人ひとりの魅力を知っていってちゃんとグループ全体を好きになって、以前よりは多くのものを受け止められる精神的な余裕と適切な距離感を持てるようになった結果、やっぱり最初の一人に帰結する。

どこまでも「歌う人」としてステージに立つあなたが大好き。
歌唱のお手本のようなその立ち方が、口の開け方が、手の動きが大好き。
かつて自分が生きてきた世界と少なからずリンクするその立ち居振る舞いを見るたび、歌という音楽の素晴らしさを思い出す。
私がもう一度歌をやろうと思えたのは、間違いなくあなたのおかげなのだ。

だから私は、あなたの歌に拍手を送る。
感動と感謝と尊敬と興奮のすべてを、ありったけ手のひらに込めて、誰よりも大きな拍手を送り続ける。
それが私にとっての最大の賛辞だから。


ああ、こんなに好きになるなんてあの日は思ってもいなかったな。
きっとこれからも、「楽しい」「好き」だけでは完結しないさまざまな感情を内包しながら、時には厄介な激重人格を降臨させながら、上がったり下がったりを繰り返して私はあなたを、あなたたちを愛していく。
これからの日々が今までと同じように流れないことも、決して短くない離ればなれの時間が迫っていることも、ぜんぶ分かっている。
それでも願わくば歌と音楽が、これからもあなたたちと私の人生を繋ぐことを、それがあなたたち自身の幸せに重なることを、隣国の片隅で小さく祈っている。


大好きな人たち。
私の人生に現れてくれてありがとう。
三年目も、どうぞよろしくね。

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