退職しました
2024.09.30
心から大好きで楽しかったブライダルヘアメイクの仕事を辞めました。
新卒入社して5年間働きました。
記録として、自慢に聞こえる部分が出てくると思いますが思い出を少しだけ。
小学校4年生、母の付き添いで初めて参列した結婚式で、すごくキラキラして幸せそうな母の友人を見た時「将来必ずブライダル関係の仕事をする」と決めました。卒業文集にも書いてあります。そこから中学〜高校も夢は変わらず、途中ずっと続けていた書道の道も考えましたが諦めきれず美容の専門学校に進学。
美容学校はヘアメイクを重点的に学べて、美容師免許も取得できるところへ勝手にAO受験をして、合格した後両親に言いました(今思えば酷いことをした…)原宿にある学校でした。美容師免許は通信課程だったので、高校3年生の秋から課題が始まって、なんかちょっぴりワクワク、めんどくささ半分みたいな感じで高校卒業まで頑張っていました。
美容学校入学後はバイトに授業に、てんやわんやの日々を過ごして、友達にも恵まれてすごくすごく楽しかった。転機は専門1年生の年末です。
特別講習として、会社の方が講師として来てくれる授業があり、そこの授業中に「入社させてくださ〜い」と軽く言ったのが入社に至るきっかけでした。(後から聞けば目は付けていてくれたようですが)
そんな舐め腐った学生を「じゃあ年明けからバイト来てよ〜」と言ってくれたのが課長です、頭が上がらないです。専門1年生の冬、就職先が決まりました。
その後約1年間の入社までの間、平日は学校に行ってカフェのバイト、土日はブライダルのバイトとものすごく多忙でしたが、働くことや日々学んでいる実感がすごく楽しくて充実した生活を過ごしていました。
そして入社、なぜか新入社員代表に選ばれたりして、スムーズに入社し、バイト場所でもあったかなり大きい名が知れたホテルに配属になりました。(会社で一番営業成績を上げている部署であり、その分忙しく厳しく、辞める人が続出していたところでした)
入社のタイミングはコロナ禍、日々レッスン、退勤時間すぎても納得いく仕上がりにならず先輩からは指摘されまくり、泣きながら練習した日もありました。
そんな2年目春、通勤電車に乗れず過呼吸、駅の救護室に何度も運ばれ、そのままだんだん仕事に行けなくなり、お風呂にも入れずベッドに寝たきり、ふとした瞬間にまた過呼吸が襲ってきて息ができなくなる。パワハラが原因の鬱でした。
何度も「死んでしまう」と本気で思いました、くやしくてたまらなかった。
安定剤に頼る日々も、すごく辛かった。
でも仕事だけはずっと諦めたくなかったので、頑張って復職しました。
復職できたのは家族、友人、一部上司のおかげです。(地元の友人が「頑張れ」と書かれたホールケーキをボロボロの私に届けてくれたり、復職の時なんて「電車に乗れないと思ったら車出してあげるからね」とまで言ってくれました)
そこからは比較的順調に、できることなら後輩が働きやすくなるようにって私なりに。生意気に上司へ口答えするようになり、自分のポジションを確立しなければと奮闘していましたし、それと同時にやはり仕事ができる効率のいい人間が好かれる部署だったので、技術で頼られるようにと仕事中も、通勤中も、お風呂に入ってる時も、ご飯を食べている時も、
四六時中勉強しました。
何を聞かれても答えられるような知識をつけるために。
結果として、ホテルの広告モデルのメイクを任せてもらえたり、接客は元々かなり得意だったので難しいお客様の担当をさせてもらったり、もちろん給与は変わらないし、こなしたからといって特に報酬はないですが、自分の経験をさせてもらう機会を積極的に作ってもらえることが何より嬉しかったなあ、努力を見てくれてる人がいるってことなんだな〜と思っています。
3年、4年、5年とあっという間に月日が流れていって、気がついたらたくさんの後輩がいてびっくりしました。もちろん続かなかった後輩もいたけれど、少しの期間でも一緒に働くことが出来て、教えるという一番の勉強をさせてもらって、怒ることももちろん多かったけど、全員もれなく可愛い後輩しかいませんでした。
退職を決めた理由は、目まぐるしく過ごしていた日々に「あ〜勉強し尽くした気がするな」と思ってしまったからです。
こうやって胸を張って努力をしたと言えるからこそ、なんだか燃え尽きた感覚があった。まだまだ未熟者で習得していない技術もたくさんありました。それでも後輩のメイクレッスンで教える立場になったり、相談される立場になっていき、私が教わった時は「ここまでの完成度があれば、もう教えることはない」と私を引き抜いてくれた課長に言ってもらえるようになり。
この5年目は自分の努力が実った感覚がずっと続いていました。
でも、もっと自分の引き出しを増やすために、保守的な自分にならないために、今柔軟に学べるうちに、もっと努力して走り続けたいと思いました。5年目はぬるま湯に浸かっていた感覚が強く、現状に満足している自分が嫌でした。走り切った感覚を味わえたこと、ものすごく贅沢なことだと思います。
ブライダルヘアメイクって、私の天職です。
今まで何百組の婚礼を担当してきたけど、全部真摯に向き合って来ました。
人生で一度の機会をお手伝いさせていただけること、それが思い出として残り続けること、決して安くないお金をいただく立場で「菜々さんに担当してもらえてよかった」なんて言葉までかけてもらえて、後日改めて会いに来てくれる人もいる。そんな仕事を経験できたこと、人生の誇りに思っています。
胸を張って「努力してきた」と言える5年間でした。
努力できる人間だってことを教えてもらった職場だった。
がむしゃらに走り続ける大変さを痛感しました。
あ〜 楽しかった。
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