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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲変ホ長調WoO 4 / ヴァイオリン協奏曲 ハ長調 WoO 5

ピアノ協奏曲変ホ長調WoO4

ベートーヴェンは1784年に協奏曲を書いた。3つの選帝侯ソナタWoO47の翌年、14歳のルートヴィヒは初めて協奏曲に挑戦した。オーケストラのスコアを書くのはこれが初めてだっただろう。彼はこの時点で既に宮廷楽士でオーケストラでヴィオラを弾いていたから、ある程度以上はオーケストラの知識を持っていたはずだ。それでもいきなりこんなに堂々たる規模の作品を書いてしまうのは驚きだ。彼はまずピアノ協奏曲の作曲を通して管弦楽の作曲を試みながら、交響曲に向かっていったのだ。

独奏ピアノのパートは完全に作曲されて残っているものの、オーケストラのパートは前奏と間奏のピアノ用の編曲があるだけで、他は失われてしまった。
おそらく初演の後にルートヴィヒが楽譜を回収せずにそのままウィーンに行ってしまったせいで、楽譜が紛失してしまったのではないかと言われている。
作曲家で音楽学者ウィリー・ヘスの手によって復元が行われた。ヘスは現存するピアノの楽譜からヒントを得て見事なオーケストレーションを行った。
この復元版は1943年に初演された。けっこう最近のことだ。


この作品の管弦楽編成は フルート2/ホルン2/弦楽 というちょっと異例のものだ(モーツァルトの交響曲第21番KV134と同じ編成)。古典の協奏曲はフルートではなくてオーボエが定番なのだが….。ここであえてフルートを使ったのが興味深い。この時のボンの宮廷楽団の事情だろうか?この作品のオケのサウンドは独特な柔らかさが特徴だ。。両端楽章で繰り出される技巧的なパッセージは、ステージで得意げに自作の協奏曲を弾く少年ルートヴィヒの姿が浮かんで来るようだ。この作品のあと、ルートヴィヒは早くもピアノ協奏曲第2番のスケッチを始めている。この最初の協奏曲と協奏曲第2番の作曲時期は実は近いのだ。

第1楽章アレグロ・モデラート。ピアノソロが出てくるまでのオーケストラの部分は16小節で、かなり短い。ここの部分はルートヴィヒ自身のピアノ編曲譜が残っている。穏やかに歌うアレグロ。フルートとホルンの柔らかい音色もあって、全体として角の取れた柔和な表情が特徴的だ(モデラートって感じだよなあ….)。少年らしい活発さを期待するとちょっと肩すかしを喰らうので油断大敵。初期のベートーヴェンはこういった穏やかで柔和な表現がよく見られる。ピアノのソロはごく普通に分散和音と音階中心でスタートする。音楽面、ピアノ奏法の面でも保守的で型通りの音楽だ。ここら辺は少年らしさがよく出ていると言ってもいいかもしれない。モーツァルトの変ロ長調や変ホ長調の協奏曲の感じに似ている(協奏曲の型を学ぼうとしてたんだろう)。それでも第一楽章の中盤以降からの展開はちょっと「おぉっ(°_°)」とゆー感じになってくる。挟み込まれるちょっとしたカデンツァも気が利いてるし、フルートとホルンの活かし方も素敵だ。付点のリズムのあたりから(動画の5m05sあたりから)の堂々たる表現は見事なものだ。やっぱりベートーヴェン!って感じがする。


2楽章ラルゲットは非常に特徴的な音楽で強い印象を残す。フルートならではの夢幻的な風情が素晴らしい。ピアノソロの感覚は古典の枠を越えていて(左手の分散和音とか)、ほとんどロマン派的な音楽になってる。フルートソロと切々と歌い交わす場面の深い情感は「ませガキ」の本領発揮だ(動画の12m50sくらいから数分間。白眉だ)。

第3楽章はこれまたモーツァルト的な型通りのロンド(アレグレット)。1楽章に比べると年相応の活発さがある。次々に繰り出される技巧的なパッセージもまた得意げな少年ルートヴィヒを思わせるようで、楽しい。ちょっとしたカデンツァを入れたり、少しリタルダンドしてア・テンポにしたりとか洒落てる。中盤からのドラマティックな部分(動画の22mくらいから)はなかなかエキサイティングだ。ちょっとハンガリーっぽい感じになるところ(動画の23m30sくらいから)なんか、ちょっとピアノ協奏曲第2番のロンドを思わせる。

この協奏曲の時点ではルートヴィヒは最新式のフォルテピアノを弾いていなくて、チェンバロが主体だっただろうと思うが、この作品のピアノソロパートはもっと後の時代のピアノを想定して書いてるように聴こえるのが凄い。

世界的な音楽家のケントナガノさんと児玉麻里さんもこの協奏曲をメジャーレーベルに録音した。こうなってくると、今後徐々に演奏機会も増えてくるだろうと思う。室内オケ編成でリーズナブルだし、アマチュアの小編成アンサンブルなんかにも最適だろう。


この協奏曲は「ピアノ協奏曲第0番」と呼ばれることもあるが、個人的には違和感がある。単にピアノ協奏曲変ホ長調でいいじゃん。だめですかね?
すっかり定着している感のあるブルックナーの「交響曲第0番」についてもおれはまだ違和感ある。ブルックナーの「交響曲00番」に至ってはもうなんと言ったらいいのか…^^; 
00って何??
なぜそこまでナンバリングにこだわるのか….

ヴァイオリン協奏曲 ハ長調 WoO 5

ルートヴィヒはボン時代の終わり 1790-92年頃にヴァイオリン協奏曲にも挑戦している。20歳のルートヴィヒ!ヨーゼフ2世の追悼カンタータやレオポルド2世の祝典カンタータといった大作と同時期の作曲ということになる。そしてこの時期には既にピアノ協奏曲第2番Op19の作曲にも着手していた。そんな時代に書かれた大規模な作品。
ベートーヴェンの遺品の中にあったこの曲の楽譜は第1楽章の259小節までしか残っていない。つまりこれは「断片」なのだ。研究によると第1楽章は一応完成していて、何らかの理由で260小節以降が欠損したと考えられるとのこと。うーむ、惜しい。この楽譜は1879年には出版された。おそらくこれを初演したヨーゼフ・ヘルメスベルガーによって補筆完成された。この作品には当時ボンの宮廷の劇場オーケストラの音楽監督を務めていたヨーゼフ・レイハの影響が見て取れるという。


ピアノ協奏曲変ホ長調よりも格段に成長している。展開も自由自在で飽きさせないし、堂々としたサウンドが実に頼もしいではないか!オーケストレーションの腕も上がっている。欠落がある割にはけっこうしっかりした長さがあり、内容的にもボリュームがあるので、もっと演奏されてもいいのではないかと思う。例えばロマンスと一緒に取り上げたりとか、おれはいいと思うけどな。
この時期に書いていたピアノ協奏曲第2番と似通った点も多い。冒頭で快活な付点音符によるモットーを提示し、それを楔のように扱って歌を紡いでいく方法はピアノ協奏曲第2番と同じだ。



全曲に渡って様々な工夫が凝らされていて興味は尽きない。
以下、簡単に列記しておこう。
▲オーケストラの扱いの巧みさ。
▲緊張感のあるゲネラルパウゼが効果的。
▲「疾風怒濤」的な激しさが現れる。
▲随所でレチタティーヴォ的な書き方がされていること。
▲ヴァイオリンソロが全く新しい主題(!)で登場すること。
などなど。



レイハ(ライヒャ)

ヨーゼフ・レイハ(ライヒャ)は木管五重奏の作曲家として有名なアントン・レイハ(ライヒャ)とは違うので要注意。
ヨーゼフ・レイハ(1752-1795)はアントン・レイハの叔父だ(後にアントンを養子にするので、養父でもある)。
ヨーゼフはチェリストアントンはフルーティストだった。

アントン・ライヒャ(1770-1836)

アントンはルートヴィヒと同い年で、ボンの宮廷楽団の同僚で無二の親友だった。二人は一緒にボン大学に入学して共に学んだ。入学するとすぐにバスティーユの襲撃が勃発し、二人は思い切り革命の熱狂を味わうことになる(ボン大学は啓蒙思想の牙城だった)。アントンもまた革命の影響でボンを離れることになった(宮廷楽団が解散になったから…)。その後はヨーロッパ各地を放浪していたが、結局ウィーンにやってきてルートヴィヒと再会、旧交をあたためた。その交流はアントンがパリに行く1808年まで続いた(アントンはパリで対位法の教授になった)。

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