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ソナチネチクルス04

2013年11月24日(日)
竹風堂善光寺大門店3F
  竹風堂大門ホール
ピアノ:西村夏葵


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本日はようこそおいで下さいました。
1999年以来今までずーっとピアノチクルスを開催してまいりました。今まではずっとショパンならショパン、シューマンならシューマン,ブラームスならブラームスとゆー格好でひとりの作曲家に絞ってその生涯を追いながらピアノ独奏用の作品を聴いていただくとゆースタイルでしたが、今年度はがらっと趣きを変えてテーマをソナチネにしました。いや、と言った方が正確かもしれません。今回はその第3回です。そんなわけで、ひとりの作曲家の生涯について詳細にお話したりってことはあまりないです。作曲家についてはちょっと触れたりする程度になるでしょうか。で、今回のチクルスはちょっとサービスといいますか「お楽しみ」とゆー意味もちょっとだけあってブルグミュラーの曲も聴いていただこうかなと思ってほぼ毎回聴いていただきます。今年度1年間でみなさんもよくご存知のブルグミュラーの25の練習曲の全25曲をだいたい順番にすべて聴いていただけることになってます。今回はソナチネのチクルスでありながら同時にちょっとしたブルグミュラーチクルスのような感じにもなってます。
ソナチネアルバムもそうですが、こちらもピアノ教室の定番ですね!ほんとにいい曲が多いので、プロフェッショナルなピアニストがちゃんとコンサートのステージで本気で弾いたらさぞ素敵だろうと思いましてね。第3回まででブルグミュラーの1番から15番までを聴いて頂きましたが、改めて聴くと懐かしいとかそーゆー段階を越えて、ただもうひたすらいい曲だなとつくづく思いました。ところで今回はアンコールにも趣向をこらしてあります。前回のシューマンのチクルスでは毎回ピアニストのみなさんにトロイメライを弾いていただいてました、ショパンのチクルスでは別れの曲でした。今回も毎回同じ曲をアンコールで弾いていただくことにしてます。今回はベートーヴェンの「エリーゼのために」です。ピアノやり始めたお子さんのあこがれの曲ですよね。コンサートはエリーゼのためにが出たらだいたいおしまいですので、ピアニストのご機嫌が良ければもう一曲くらいアンコールがあるかもしれませんけどね、結局これまで毎回エリーゼ以外にももう一曲ありました。今日の西村さんはどうでしょう。ちょっとわからないので、もう少し聴きたいなと思ったみなさんはちょっと多めに拍手してみて下さい。
さて、「ソナチネアルバム」ですが日本のピアノ教室の教材としては必須のものですよね。今やってるよ!とゆーお子さんもいるかもしれませんね。いるかな?ブルグミュラーはどうかな? まあ、ピアノ習ったことのある方も必ずやったことあると思います。だいたいみなさんが使うのは全音から出てるこれですかね。これはケーラーとルートハルトとゆー二人の音楽家が編集してドイツのペータースとゆー出版社が19世紀後半くらいですかね、だいたいそんな頃に出版したもので一巻二巻の二冊で構成されてます。この「19世紀」とゆーのが今回の重要なキーワードです、だいたい初級のレベルが終わると。ブルグミュラーがだんだん進んで終わりが見えてくるとソナチネやってみようか、なんてことになるんでしょうかね。今日取り上げるのはソナチネアルバムの2巻の方の曲ばかりです。だいたいピアノ教室で取り上げられるのは1巻の曲ばかりで、2巻の方はあまりやらないし、先生によっては「2巻の楽譜も持ってないわ」なんて方もいらやるようですね。たぶん二巻の曲も一巻とあまりスタイルもテクニックの点でもあまり変わらないので、一巻をだいたいやると違う傾向のものにいっちゃうのかもしれませんね今日は2巻の中からディアベリとベートーヴェンの作品を聴いて頂きます。

ところでこのブルグミュラーの練習曲集のタイトルですけど、ドイツの作曲家の曲なのにぜんぶフランス語なのです、ぼくもどうしてドイツ語じゃないのかなーと思ってましたがブルグミュラーはドイツ人でしたけど1832年からパリに移って、その後ずっと死ぬまでパリで生活して活動してたんですね。ショパンもポーランドからパリに移ったのが1831年ですからちょうど同じ頃にブルグミュラーもパリにやってきたんですね、だからブルグミュラーはショパンとまったく同時期にパリで活動してたことになるわけです。パリも広いですけど音楽業界はそうでもないですから、同じピアニストで作曲家だからどこかのコンサートやサロンで2人はすれ違ったりもしかするとちょっと「こんにちは」くらい挨拶くらいしたかもしれないし、ちょっとおしゃべりもしたかもしれません。リストもパリで大活躍をしていたちょうどその時代です、そんなショパンやリストが大活躍したパリの良き時代の作曲家だとゆーことを知っていただいて、今日はブルグミュラーの15番から20番ですね、早速聴いていただきましょう。

ブルグミュラー:25の練習曲 Op.100 より16番-20番

16小さな嘆き 17おしゃべり 18気がかり 19アヴェ・マリア 20アラベスク


ベートーヴェン:ソナチネ ト長調 Anh.5-1、ソナチネ へ長調 Anh.5-2

ソナチネアルバムにはベートーヴェンの作品はいくつか入っているんですが、一巻に入ってる2曲の方が有名だし、曲の質も高いですね。一巻の方の2曲は「ソナチネ」という名前ではなくふつうに「ソナタ」として演奏される事も多いかもしれません。今日聴いて頂く2曲はほんとに「ソナチネ」というしかないような作品です。

ベートーヴェン:ソナチネ ト長調 Anh.5-1ソナチネ・アルバム第2巻第10番
ベートーヴェン:ソナチネ へ長調 Anh.5-2ソナチネ・アルバム第2巻第11番

こじんまりして、技術も易しくて明らかに学習用の作品です。この2曲については資料もまったく残っていなくて、ベートーヴェンの真作ではないと言われてます。いや、今ではもう、これはもう違うんじゃないかとゆーことになってます。だから作品番号もAnhとゆーあまり見慣れない略字が使われてますけどこれはドイツ語のAnhangとゆーことばの略なんです。補遺とか付録というような意味ですね。ベートーヴェンの公式な作品目録でも真作かどうか疑わしいので参考までに一応入れておきますというような形で、巻末に付録で載せられているんですね。では2曲続けて聴いて頂きます。


ディアベリ:ソナチネ ト長調 Op.151-1、ソナチネ ハ長調 Op.152-2

では、ベートーヴェンと関係の深いディアベリのソナチネを2曲聴いていただきます。

ディアベリ:ソナチネ ト長調 Op.151-1ソナチネ・アルバム第2巻第13番
ディアベリ:ソナチネ ハ長調 Op.152-2ソナチネ・アルバム第2巻第14番


アントン・ディアベリはザルツブルク近くのマットゼーとゆー町の出身です。

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モーツァルトと同郷です。1781年生まれですから1770年生まれのベートーヴェンの11歳年下になります。ディアベリは最初は聖歌隊に入っていました。神父になろうとしたようですが、ミヒャエル・ハイドン(ヨゼフ・ハイドンの弟です)の生徒になって作曲家になりました。しかしその後、30歳過ぎてから楽譜出版業の方に転向します。これがけっこう成功したんですね、シューベルトやベートーヴェンなんかの作品も出版したようですが、儲かったのは家庭用の聴きやすく演奏の易しい作品です。ディアベリも自分でも技術的に易しいソナチネをたくさん書いて出版してます。19世紀になって産業革命でピアノの量産が可能になってピアノが市民社会に普及していきます。そうなると必要なのは、まず楽譜ですね、ピアノが売れれば楽譜も必要。先生も必要だし、教育用の作品も必要。例えばベートーヴェンの弾くのも聴くのしんどい作品は売れないわけです。なのでおびただしい数の演奏が易しい内容薄めのソナチネや小品が出版されたわけです。ブルグミュラーの曲もそうです。第2回に聴いていただいたクーラウなんかはそーゆー出版社の要求に応えてホントにたくさんの作品をどんどん量産しました。なのでクーラウもそうですしブルグミュラーも作品の数がむちゃくちゃ多いのです。こーゆー作曲家の場合は作品番号が100以上なんてふつうです。作曲と演奏だけで食うのが難しかった音楽家の中には楽譜の出版に手を出す人もけっこういました。だいたい、そもそもふつうの事務処理能力の能力なんか音楽家はありません(もちろん、能力ある人もいますよ!尊敬です。)。ふつうの仕事がちゃんとできないから音楽をやってるわけです。だから大多数の人は商売やっても失敗しちゃうんですがディアベリはうまくいった人ですね。クレメンティもけっこう商才あって商売もめちゃくちゃ上手かったです。ディアベリもクレメンティも音楽やらなくてもたぶんふつうに商売人として上手く生きていけたでしょうね。前回聴いていただいたドゥセックも楽譜出版に手を出しましたがうまくいかなかったです。


ディアベリと言えばやっぱりベートーヴェンの有名な変奏曲「ディアベリ変奏曲」が有名ですね。ディアベリは自分の考えたメロディによる変奏曲の作曲を公募したんです。いい企画ですよね「ディアベリ・プロジェクト」。とてもおもしろいです。そうして約50名から作品が集まりました。フランツ・シューベルトは変奏曲(作品番号D.718↓)を提出し、

11歳のフランツ・リストも変奏曲(作品番号S.147↓。これが処女作)を提出しました。

他にもフンメル、モーツァルトの息子・フランツ・クサーヴァー・モーツァルトモシェレスといった作曲家たちが参加して、ツェルニーがコーダを担当しました↓。

このディアベリプロジェクトはブッフビンダーが録音してます。貴重です

(このプロジェクト、ピアノチクルスに向いてるなあ....ここだけの話)

ベートーヴェンもこの主題と作業に魅了されてすっかり夢中になってしまったのでしょう。このディアベリの主題を使って自分の作品として作曲して、それが33曲からなる壮大な変奏曲(ディアベリ変奏曲Op.120)となったわけです。

では、そのディアベリのソナチネを2曲聴いて頂きましょう。


バルトーク:ソナチネ


さて、最後はガラッと趣きを変えて20世紀に書かれた作品を聴いてみます。バルトークのソナチネです。

バルトーク・ベーラは1881年生まれのハンガリーの作曲家です。1881年は日本で言いますと乃木大将と同い年ですね。ご存知ですよね? バレリーナで言えばあんなパヴロワと同い年。バルトークはものすごいピアノの名手でしたから、ピアノの作品をたくさん書いてます。子どものピアノ教育にも興味があった人で、世界的に有名な「ミクロコスモス」とゆー有名な曲集は大変によく考えられた立派な教本です。これを教室で使ってらっしゃる先生もけっこう多いと思いますね。ハンガリーはコダーイ・ゾルタンとゆーこれまた素晴らしい作曲家が居て、この人もすごい教育者でした。ハンガリーはこーゆー決定的に重要な作曲家が子どもの音楽教育のために非常に熱心だったとゆーことが特徴的です。うらやましい状況です。コダーイもバルトークも音楽家であると同時に、ハンガリーの民謡や民族音楽を研究した学者でもありました。そして教育者でもあった。だから子ども用の教育的作品にはハンガリーの民謡や民族音楽がふんだんに、とても意識的に注意深くちりばめられています。これは非常に意義深く素晴らしいことです。うらやましい限りです。日本でもこうした試みはささやかには行われてきましたけれど、正直言ってハンガリーほどでは全くないのが現実です。非常に残念だと思います。これから聴いていただくソナチネはバルトーク本人がハンガリーのトランシルヴァニア地方(今はルーマニア領です。ドラキュラの里ですね。)で採譜してきた民謡のメロディを取り入れて作られています。ソナチネ、小さいソナタとゆーことですがソナタ形式の楽章がひとつも入っていないのが特徴です。実質的には3つの小品と言ってもいいような作品です。バルトーク自身もこのソナチネについて次のように述べています。

「このソナチネは元々、ルーマニア民俗舞曲集として構想されました。その曲集から選曲して、『ソナチネ』という題名をつけたものです。」

ではバルトークのソナチネを聴いていただきましょう。

梨本卓幹くんのブダペストで収録された演奏動画があるので、参考にあげておきます。素敵な演奏!


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