見出し画像

連弾チクルス02

2016年 3月19日・竹風堂大門ホール

ピアノ:山岸香織・久保田千裕

画像1

みなさまようこそおいで下さいました。今年は一年間「連弾」をテーマにお話しながら、長野のピアニストのみなさんの様々な組み合わせによる演奏をお楽しみいただきたいと思っています。最終回はピアニストが8人登場してお祭りのような楽しいコンサートを企画してます。この最終回だけは、ぼくはあまり関わっていなくて松橋朋潤くんがプロデュースを担当してくれます。ちょっとね、ものすごく楽させてもらってます。

さて、「連弾」ですね。一台のピアノの鍵盤に向かって二人の奏者が並んで弾くことを「連弾」と言います。ピアノを二台並べて二人のピアニストが弾いてもそれはあくまでもピアノ二重奏であって「連弾」とは言いません。日本ではこーゆースタイルの演奏のことを「連弾」と言ってますけど、これは漢字を使う言語である日本語ならではの、「日本だけ」の言い方です。定義としては、ひとつの「鍵盤」に対して二人が並んで一緒に奏するのを「連弾」とゆーことなんだろうと思います。
音楽の分野でこれほど接近して常時「寄り添って」演奏する音楽のスタイルは、ほかにないです。だからその距離感からしてどうしようもなく「親密さ」ってゆー要素があるわけです。
 連弾には「親密さ」のほかにもうひとつ重要な特徴があります。「オーケストラ的」な要素です。CDもラジオもYoutubeもなかった19世紀の頃、おうちでオーケストラの名曲を楽しむためにオーケストラの曲を連弾に編曲した楽譜もたくさん出版されたんです。連弾だとピアノ一台でもけっこう豊かに鳴るんですね。こーゆーオーケストラの曲を連弾にアレンジした楽譜が昔のヨーロッパではよく売れました。おうちでオーケストラの曲を連弾で楽しんでいたんです。これから聴いていただくブラームスのハンガリー舞曲もドヴォルジャークのスラヴ舞曲も元は連弾の曲で、後でオケ用にアレンジされました。逆のケースですね。親密さがオケ的に転換したとゆーことです。逆もまた真なり...ってことでしょうかね...どうだろう。

これは家庭的で「親密」な形態でありながらも、同時にシンフォニックな方向性を常に求められてきたジャンルでもあるという「連弾」特有の特徴といえるでしょう。「親密」であるということ、オーケストラ的であるということ。このふたつが渾然一体となっているのが連弾の大きな特徴です。

ブラームス:ハンガリー舞曲第3集(第11〜16番)

さて、前半はブラームスのハンガリー舞曲の第3集(第11〜16番)ですね。ハンガリー舞曲集はブラームスの生涯最大のヒット作です。全21曲を4つに分けて出版したんですが、これがもう爆発的に売れたんです。ブラームスは連弾の作曲が好きだったみたいで、連弾の曲をたくさん作ってますが、このハンガリー舞曲集がその中でもダントツで売れました。ふつうのコンサートだけじゃなくて酒場やサロンみたいなところでも市場の片隅でも、とにかく至る所で演奏されました。本当に大ヒットでした。ブラームスは若い頃にレメーニというハンガリーのヴァイオリン弾きとよく一緒演奏していました。このレメーニとゆー人がめっちゃくちゃロマ(ジプシー)の音楽に詳しくてですね、ロマのヴァイオリンの独特な弾き方を取り入れて演奏したりするようなクラシック畑ではちょっとおもしろいヴァイオリン弾きだったんです。この人がブラームスにいろいろとロマの音楽を弾いて聴かせてあげてたんですね。これをブラームスがメモしていて、そのメモをもとに書いたのがハンガリー舞曲集だったわけです。ブラームス自身もこの曲集を「ハンガリー」舞曲集と言ってますけど、もしかするとジプシー舞曲集、ロマ舞曲集と言ったほうが正しいのかもしれません。この作品が爆発的にヒットしたのを見て嫉妬したレメーニが裁判に訴えました。「おれが教えてやったメロディでぼろ儲けしやがってけしからん」とゆーことです。つまり著作権侵害だとゆーわけです。この裁判はブラームスが勝ちました。ブラームスはこの曲を出版するときに、作曲ではなく、あくまでも民謡の「編曲」だという立場で出版しています。そもそも民謡は古くから伝わっているもので誰が作者か既にわからなくなっているか、わかったとしてももうはるか昔に亡くなっていて著作権の有無がどうのこうのという感じじゃなくなってますから、法律上は特に問題ないとゆーことだったんです。ブラームスはこーゆーロマ風の音楽が大好きで、室内楽なんかにもジプシー的な要素をよく使ってます。では、早速聴いていただきましょうか。ハンガリー舞曲で有名なナンバーは第1集と第2集に集中していて、これから聴いていただく第3集(11番〜16番)には有名なナンバーは入ってませんが、すごくいい曲ばかりですので、楽しんで聴いて頂ければいいなと思いますね。








ドヴォルジャーク:スラヴ舞曲第1集、第5番〜第8番

さてドヴォルジャークのスラヴ舞曲ですが、今日は第1集の後半の5番〜8番までの4曲を聴いていただきます。8番は特に有名な曲です。オケのアンコールの定番。みなさんも「あっ!これか!」ってなるんじゃないでしょうか。1番もオケのアンコールでよくやります。8番の次くらいによくやられてるんじゃないかな。たぶん。





👆はワイセンベルクとドミンゴの連弾。これはおもしろい組み合わせだー。(⌒▽⌒)

ドヴォルジャークは音楽史的に言うといわゆる「国民楽派」に属する作曲家です。その音楽は「民族問題」「民族運動」と切って離すことはできません。チェコはご存知の通り大変な国ですね。ずーっとオーストリアやらポーランド、ドイツなど他国の支配下にありました。
他国に支配されると、まずその国の独自の言語を奪われ独自の文化や習慣を奪われてしまいます。同化政策ってやつですよね。

画像7


ドヴォルジャークはチェコ独自の音楽文化を取り戻そうとして、ものすごくがんばった人です。それはもう、とんでもないがんばりでした。ドヴォルジャークはずっと「民族の闘争の中で音楽の役割とは何か」ということを常に自分に問い続け、悩み抜いてきた人です。自分の祖国の舞曲や民謡を作品に取り込んで発表して、チェコ語(少数言語です)のオペラや歌曲を作ってその音楽や言語の素晴らしさを世界に発信するとともに、チェコの人々に祖国の文化に対する誇りを持ってもらってアイデンティティの拠り所にしてもらいたいという強い願いがそこには込められているわけです。

画像6

ただし、「モルダウ」で有名なスメタナがチェコ一国に特にこだわってやや原理主義的に活動したのに対して、ドヴォルジャークの関心はチェコだけでなくチェコ周辺の国々にも向けられていました。ウクライナやスロバキア、ポーランド、ブルガリア、ロシアもそうですが、チェコ一国だけではなくて、もっと広い言語学的な分類のスラブ語系の民族全体に広がっていたのです。だから「チェコ」舞曲ではなくて「スラブ」舞曲なんですね。なので、この曲集にはチェコだけではなくいろんな国の音楽が取り入れられているんです。ポーランドのポロネーズやマズルカ、ウクライナのドゥムカ。ユーゴスラヴィアのコロとかほんとに様々です。

フォーレ:組曲「ドリー」

最後に聴いていただくのはフランス近代を代表する作曲家ガブリエルフォーレの「ドリー」組曲です
「ドリー」はフォーレが親しくしていたエンマ・バルダックの娘エレーヌの愛称です、この組曲はかわいいドリーの誕生日を祝って毎年プレゼントとして1曲ずつ書き上げられていきました。フォーレの優しい愛情が満ち溢れた音楽は「親密で家庭的」という連弾のイメージそのものです。

ここから先は

1,282字 / 4画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?