見出し画像

ソナチネチクルス03

2013年10月06日・竹風堂大門ホール   /

ピアノ:山田えり子

画像1


本日はようこそおいで下さいました。

さて、「ソナチネアルバム」ですね。ピアノ教室の教材としては必須のものですよね。今やってるよ!とゆーお子さんもいるかもしれません。    いるかな?ブルグミュラーはどうかな? 

まあ、ピアノ習ったことのある方も必ずやったことあると思います。だいたいみなさんが使うのは全音から出てるこれですかね。これはケーラーとルートハルトとゆー二人の音楽家が編集してドイツのペータースとゆー出版社が19世紀後半くらいですかね、だいたいそんな頃に出版したもので二巻で構成されてます。(この「19世紀」とゆーのが今回の重要なキーワードです)、

みんなの教室では どうかな。だいたい初級のレベルが終わるとブルグミュラー。だんだん進んでいくとソナチネもやってみようか、なんてことになるのかな。たぶん…

ブルグミュラーはドイツのレーゲンスブルク生まれの作曲家です。ドイツ人ですね。1806年生まれ。19世紀前半の作曲家。1810年生まれのショパンやシューマンよりちょっとだけお兄さんってことになりますね。4つ上。ところでブルグミュラーと同じ1806年生まれのドイツ生まれの作曲家がいます。バイエルです。フェルディナント・バイエル。ご存知ですよね!例の、バイエルです。これは豆知識。バイエルとブルグミュラーは同級生、タメです。できれば長野の関連で誰かいないかなと思って探したらいましたいました。小布施の高井鴻山(たかいこうざん!1806年生まれです)ブルグミュラーはドイツ人でしたけど1832年からパリに移って、その後ずっと死ぬまでパリで生活して活動してた人です。今日はブルグミュラーの11番から15番ですね、早速聴いていただきましょう。

25の練習曲 作品100(25 Leichte Etüden Op.100)より

11.せきれい12.さようなら13.なぐさめ14.スティリアの女15.バラード

ドゥシークのソナチネ

次はドゥシークのソナチネです。ドゥシークとゆー作曲家はボヘミア、つまりチェコ出身です。ショパンやリストと同じ東欧=東ヨーロッパ出身で、パリにやってきてパリに居着いて活動した人です。1760年生まれですから、けっこう昔の人です。ベートーヴェンの10歳年上、モーツァルトの4歳年下、時代としては古典派になります。モーツァルトと同世代です。彼の名前は言い方が安定していなくて、ドゥセックDussekだったりドゥシークDusíkだったりしますがどちらも正しいです。東欧の人の名前は言い方が安定しないことがけっこう多いです。彼がチェコ人だということを考えると、ドゥシークと言うのがより良いように思います。ドゥセックとゆー言い方は西欧風ですよね。

ドゥシークとゆー人は、それはもう、文字通り「波瀾万丈」な一生を送った音楽家です。長編小説になりそうなほど「波瀾万丈」です。彼ははまず音楽家の父親から基本的な音楽教育を受け、フィリップ・エマニュエル・バッハ(大バッハの息子)にも学びました。彼は神学も学んだようですが、音楽の道に専念して演奏活動を始めるとすぐにヨーロッパ中で名声を得るようになりました。オランダからドイツを旅し、その後、ロシアのエカテリーナ2世の「寵臣」になります。それから、リトアニアに1年いて、フランスに渡り、今度はマリー・アントワネットの「寵臣」になります。どうしてエカテリーナやマリーアントワネットとゆー女帝たちに仕えて公私共にかわいがられたかとゆーと、ドゥセックはそれはもう、もんのすごいイケメンだったのです❤️ 床上手だったんでしょうねえ。…たぶん…

画像2
ドゥシーク

ところで今、ピアノは客席に対して横に置いて演奏しますよね。ドゥシークは、「女性たちがドゥシークのあまりにも美しい横顔を愛でることができるように」、舞台上にピアノを横向きに置いた最初のピアニストだったそうですよ。響きとかの問題じゃなくて、横顔のためなんです(*_*) 今こうやってピアノが横に置かれるのはのドゥシークの横顔があまりにもかっこよかったからなのですね、それほどのイケメンなんです。こーゆー感じはちょっとリストを思わせますね。彼は1789年に、フランス革命が起きると、ロンドンに渡って、当時ロンドンで活躍してたハイドンに認められて、成功したり、出版社の共同設立者になったりします。 しかしその出版社が倒産すると、多額の負債・借金を逃れるために、ドイツへ行きます。で、またしてもフランスに戻り、晩年は、フランスとドイツで、教育・演奏・作曲活動をしますが、酒びたりになり、太りすぎて鍵盤に思うように指が届かなくなり…とゆー感じになってしまう。
鍵盤に手が届かないほどの肥満ってどんだけ…(・_・)。
まあ、破滅型の芸術家の典型ですね。こういう人生を送るような男ですから音楽も普通じゃありません。古典派の作曲家のくせにロマン派を先取りするような当時としては非常に前衛的なものでした。
例えば👇のソナタ変イ長調「パリへの帰還」を聴いてみて下さい。ほとんどロマン派です。


今日これから聴いていただくソナチネは前衛的な作曲家としてのドゥシークよりも教育者としての面が強く表れていて、古典的に、教科書的に書かれてます。2曲目の方はソナチネアルバムの2巻に入ってます。2巻はあまり取り上げることはないかもしれませんね。どうだろう。あとでえり子先生にも聞いてみましょう。

ドゥシークは画像検索すると👇のような画像も出て来るんです。どう見ても別人に見えますが、どうやら同一人物のようです....おれは以前は👇の肖像画で彼を認識していたので、ものすごいイケメンだとゆー話を聞いてすぐには信じられなかったんです。彼は精神を病んで、かなりの肥満に苦しんだそうなので、👇の肖像画は苦しんでた頃のかもしれないですね。

これもドゥシークです!(◎_◎;)


ではソナチネを二曲聴いてみましょう
ドゥシーク Jan Ladislav Dusík(1760-1812)

ソナチネ ト長調 Op.20-1[ソナチネ・アルバム第1巻第17番]

ソナチネ イ長調 Op.20-4[ソナチネ・アルバム第2巻第12番]

休憩


後半はまずハイドンのソナタを聴いていただきます。

ソナタ ハ長調 Hob. XVI:35[ソナチネ・アルバム第1巻第13番]


ハイドンは前半聴いていただいたドゥセックの恩人でもあります。ハイドンはピアノのためのソナタをたくさん書いてます。ハイドンは少し古い人ですから、その頃は鋼鉄のフレームの入ったいわゆる「ピアノ」はまだまだの状態でした。ハイドンの時代はピアノの前身のチェンバロやクラヴィコードからの過度期だったんですね。ハイドンのソナタの出版譜にはチェンバロのためのソナタとタイトルを打たれているのも多いです。ただ同じ曲でも、イギリスの出版者から出る楽譜には「ピアノのためのソナタ」なんて書かれていたりする。イギリスはいちはやく産業革命を成し遂げて鉄鋼業が確立したのでピアノ先進国だったのです。だからイギリスの出版譜には「ピアノのためのソナタ」と書くことができた。この作品は、ソナチネアルバムに入ってますが、今日は原典の通りソナタとしておきました。今日聴いていただくソナタは1780年の出版の6曲のソナタ集のうちの一曲なんです(古典派の時代はソナタを数曲のセットで出版するのが通例でした)。が、これ以前の、1780年以前に出版されたソナタとは大きな違いがあるのです、1780年以前のハイドンのソナタには強弱記号(fとかpとかcresc  dim)があまり書き込まれていないのですが、このソナタからは突然、強弱記号が楽譜に書き込まれるようになったんです。これは何を意味するのか。この年代あたりの作品からハイドンがいわゆる鋼鉄のフレームが入った「現代の我々がよく知ってるピアノ」を念頭に置いて作曲しはじめたとゆーことなんですね。ピアノの前身のチェンバロやクラヴィコードとゆー楽器はタッチで強弱を表現することがほぼできません。チェンバロをちょっと弾いてみるとわかるんですけど、どんなに優しいソフトなタッチで弾いても、どんなに強く叩いても基本的に同じ音量しか出ません。だからハイドンもチェンバロやクラヴィコードのためにソナタを書くときには強弱記号を積極的に書かなかった。あんまり意味ないですから。ピアノやってるお友達は、この曲を勉強することになったらちょっとそんなことも考えて練習してみるといいかもしれないよ!

画像4

さて、最後はガラッと趣きを変えて20世紀に書かれた作品を聴いてみます。カバレフスキーの作品です。カバレフスキーは組曲「道化師」のギャロップがめっちゃ有名です。

カバレフスキー Dmitry Borisovich Kabalevsky(1904-1987)

カバレフスキー:ソナチネ Op.13-1


1.Allegro assai e lusingando 2.Andantino 3.Presto

動画はちょうど腰原菜央ちゃんのがあったので参考動画として貼っておきます。素晴らしー👏いい演奏だー。この演奏、ぜひ参考にしてください。

ドミトリー・カバレフスキーはロシアの作曲家です。ロシアとゆーよりはソビエト連邦、旧ソ連の作曲家と言った方がいいかもしれないですね。旧ソ連の作曲家は、国家の(...とゆーよりは共産党の)意向に沿った音楽を書く作曲家と、自由な表現を求めて共産党に睨まれる作曲家がいました。まあ、それぞれ濃淡はありますけどね。睨まれる方の代表例はショスタコーヴィチです。ショスタコーヴィチはこのことで本当に苦しみました。旧ソ連の作曲家ではプロコフィエフとかハチャトゥリャンなんて人たちも有名ですけど、彼らは「ジダーノフ批判に晒されたりしてものすごく苦しんだりもしたけどそれでもどうにかこうにか、一応まあ何とかやっていた人たちです。ショスタコーヴィチとゆー人は、もうどうにもこうにも うまくやることができなくて、とにかく苦しみ続けた…。

で、今日聴いていただくカバレフフスキーはどっちかとゆーと体制側とうまく折り合いがつけられた人でした。いや、ほとんど体制側の人でした。ただ、カバレフスキーの場合は作風がそもそも明快でショスタコーヴィチのように難解な表現になっていかないのがよかったんでしょうね。自分が好きなように自由に表現しても、難解な方向に行かなかったのがよかった。ソ連では音楽は労働者にわかりやすく伝えるのが良いとされていたので、カバレフスキーは特に何事もなかったのでしょう。カバレフスキーは教育者としても優秀でした。旧ソ連はご存知の通り、本当にいろいろありました。結局共産主義思想はうまくいきませんでしたけど、教育面ではかなりのものがありました。例えば旧ソ連の国々、カザフスタンとかタジキスタンとかエストニアとかそーゆー国々の識字率の高さは凄いです。こうした国々は先進国でもないし、裕福な国じゃないですけど、識字率は軒並み99パーセントを超えてます。これは凄いです。(ちなみに日本も識字率は優秀です。日本はもう江戸時代から驚異的な識字率の高さで外国から驚かれてました)例えばアメリカの識字率は言語を英語だけに限定すると50パーセント程度ではないかと言われてます。同じヨーロッパのポルトガルは94パーセント。スペインが97パーセント。イタリアが98。それより上です。まあ、共産主義思想を広めるために。プラウダとかも読ませて共産主義思想を徹底したい。そのために識字率は超大事ですから、がんばったんですね。国民が字が読めないのは共産党はマジ困る。読めるだけじゃなくてそこそこ理解力もないとまずい。何しろ「思想」ですから。国力を上げるためにも共産党は教育は超がんばった。国語も算数も理科も体育も音学もひたすらがんばった。
さすがに子どもたちの教育のためにがんばることに作曲家たちも文句はないでしょう。普通そうでしょ?思想がどーのこーのとゆーことはあまり言わずに、子どもたちの教育のためにみんながんばりました。旧ソ連は子ども用の作品の宝庫です。ちょっと楽譜屋さんとか行って見てみるといいと思いますね。旧ソ連の子供用の作品の多いこと!すごい数です。しかもそれを書いてる作曲家がプロコフィエフやハチャトゥリャンやカバレフスキー、ショスタコーヴィチといった超一流どころばかりなのが凄い。質もものすごく高いし、量も多い。ぼくは共産主義はごめんですが、この点だけはすごくうらやましいなとゆー気がします。ピアノの曲じゃないけどプロコフィエフの「ピーターとオオカミ」なんかその最高の成果です。世界中の子供達を楽しませていますよね!今日聴いていただくカバレフスキーのソナチネもピアノのおけいこでは定番です。世界的にも広く子どもたちに弾かれてる曲です。音楽教室業界ではむちゃくちゃ有名です。カバレフスキーは教育者だったので子ども用の曲がとても多いですが、中でもこのソナチネは一番よく弾かれてる曲でしょう。子どものコンクールでもよく課題曲になります。適度に刺激的で、よくできた曲です。こーゆーちょっと刺激的な感じの曲は子どもにやらせるととても喜ぶんです。では聴いていただきましょう。


ここから先は

2,771字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?