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リスト・詩的で宗教的な調べ

2021年のリストピアノチクルスは全4回のコンパクトなものになった。ホントはいつも通り全6回で計画したが、今年は縮小せざるを得なかった。悔しい。無念。そこで、ホントは取り上げるはずだった曲のことについて自分の脳の補強のために少し書いてみようと思う。特にこの「詩的で宗教的な調べ」と「メフィストワルツ」がレクチャーから抜けてしまったのは個人的にはめっちゃ痛かったので絶対に書いて自分を補完しなきゃいけない。(もうすぐ最終回だし...12/04!みなさんぜひご来場下さい!)。


リストは19世紀を代表する宗教音楽の作曲家でした。生涯にわたって宗教音楽を書き続け、その業績はメンデルスゾーン、ブルックナーなどと並び称されるものです。一般的なリスト像からすると、宗教音楽家としてのリストはイメージしにくく、素晴らしい宗教作品の数々も膨大な他ジャンルの作品の山に埋もれてほとんど見えなくなっているのが現状だと言えるでしょう。コアな合唱畑の人たちの中にはその凄さを理解している人もいるかもしれませんが、ほとんどの人はその存在すら知らないのです。

リストの音楽の宗教性を考えるなら、本来は本格的な宗教合唱曲を聴くのがいいのですが、リストは宗教的なピアノ曲も多く作っていますし、管弦楽作品ではダンテ交響曲のラストがマニフィカトだったりして、宗教音楽の大家だったリストの片鱗を窺い知ることはある程度は可能です。例えばチクルスで取り上げた宗教的なピアノ曲「二つの伝説」はよく演奏されますし、ピアノ曲集「詩的で宗教的な調べ」の中の数曲は「二つの伝説」ほどではないにしても、しばしば演奏会で取り上げられます。聖歌などの宗教曲が元になっていたり、引用がされている場合には、その旋律にはばっちり歌詞が書き込まれているのは大きな特徴です。

リストはアルフォンス・ド・ラマルティーヌ(1790~1869年)の詩集に触発されて「詩的で宗教的な調べ」を作曲し始めました。ラマルティーヌとリストは非常に親しく、ラマルティーヌの姪とリストの縁談が持ち上がったこともあるほどでした。

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「詩的で宗教的な調べ」(1851)は、ドイツ系ロシア貴族のカロリーヌ・ザイン = ヴィトゲンシュタイン伯爵夫人に献呈されました。マリー・ダグー伯爵夫人との関係を清算したあと、1848年から13年間、同居生活を送ることになったのがカロリーヌだったんです。カロリーヌはマリー・ダグーと同様に深い教養を持つ猛烈な読書家でした。カロリーヌは子持ちでしたから、ここのところもマリー・ダグーと同じです。リストは子持ちの人妻が好きだったんですかねえ...。カロリーヌは熱心なカトリック信者でもありました。マリーも少女時代を修道院で過ごしたので十分に信仰深い女性だったのでしょうが、カロリーヌの信仰は異常にのめり込んでいくような傾向がありました。文学好きで熱心なカトリック信者だったリストは彼女たちの信仰深いところに強く惹かれたはずです。リストはワイマール時代からたくさん宗教音楽を書くようになっていきますが、これはカロリーヌの影響もあったでしょう。

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カロリーヌがリストの作曲に数多くのインスピレーションを与えたこと、そして新たな生き方の方向性を指し示したことは事実です。リストのワイマール時代はカロリーヌとの同居生活と完全に重なっています。カロリーヌは良くも悪くもリストを支配し、自分はリストのミューズ(リストの霊感の源)だと自認していました。彼女はリストを集中力に欠けた怠け者だと決めつけていて(それはある程度真実なのですが...)厳格で恐ろしい教育ママのようにリストの尻を叩き続けました。リストは彼女によって無理やり机に縛り付けられて創作を続け、徹底的に考え抜かれ精緻に組み上げられたワイマール時代の傑作を書くことができたとも言われています。

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それが彼女の功績だとしても、やっぱり彼女の締め付けはあまりに厳しすぎて、リストは耐えられなくなるとしばしば一人旅に出かけて息抜きをしていたそうです。プチ家出ですね...。

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気持ち、わかります...。

さて、「詩的で宗教的な調べ」の成立過程は非常に複雑でこみ入っていて、説明がめっちゃ難しいのですが(リストはそーゆーことが多すぎる。困っちゃう...)、それでもできるだけやってみましょう。

「詩的で宗教的な調べ」S.154

まず1834年にラマルティーヌに触発され「詩的で宗教的な調べ」S.154という小品を書きます。これがこの曲集の原型・源流になるわけです(これは最終的に決定稿S173の第4曲「亡き人たちの思い」になります)。  このS.154はいろんな意味で特筆すべき作品です。まず何よりも1834年の時点で既にこのような宗教的で前衛的な内容の作品を書いていたことが驚きです。1834年頃のリストはパリのサロンにどっぷり浸かった生活をしていました。パリの社交界ではイケメンの天才ピアニスト・リストはものすごい人気者でした。この時期にリストは「4ヶ月以上にわたって私は睡眠も休息も折らなかった..」と書いています。リストは「いい奴」だったので常に愛想よく、周囲に期待される通りに振る舞っていましたが、実際にはサロンの寵児である自分を嫌悪しながら冷ややかに見てもいました。でも同時に貴族社会のエレガンスにめっちゃ惹かれていて、そーゆー生活も楽しく満喫しちゃうとゆー超アンビバレントな状態だったわけです。そーゆー中でリストは心の奥底で宗教への思いを秘かに育んでいたとゆーことになりますね。サロンで受けのいい内容の薄いサロン的小品を書きまくって弾きまくりながら、実際は超前衛的で過激な音楽も夢見ていたわけです。

この作品の最初から半分(62小節)までは、調号も拍子もなく(しかもsenza tempoなどと書いてある。テンポ無し!)、しっかりした主題すらありません。主題がないのに何があるのかとゆーと、楽式論的に言えば「モチーフ(動機)」があるだけなのです。後半(63小節 ↑の動画の6m08)になってやっと調号と拍子と速度記号が登場し、ようやく主題が提示されます。この時期の音楽としては異常なことです。しかしこのような思い切った書き方は第二稿までです。こーゆー楽譜の書き方は決定稿S173には引き継がれませんでした。S154と第二稿S172aだけの書き方です。

詩的で宗教的な調べ第1稿S.171d

1845年には8曲からなる曲集「詩的で宗教的な調べ」の初稿S.171dが作曲されました。S.154のタイトル「詩的で宗教的な調べ」は曲集全体のタイトルに転用されてしまったのです。タイトルが無くなった小品には新たに「亡き人たちの思い」というタイトルが付けられて第二稿S172a以降の曲集に組み込まれることになります(こーゆーことが超めんどくさい。やめてほしい)。この初稿S171dは8曲から成っていますが肝心のS.154は含まれず、決定稿S173と関連する曲は第1曲だけです(後の「孤独の中の神の祝福〉の元となる素材がちらっと見受けられる程度)。全体としては保守的な手法で書かれた穏健なノクターン集や無言歌集のような雰囲気で、有名な「ため息」や「コンソレーション」「愛の夢」を思わせるような曲調のものばかりです。詩的ではあるかもですけど、あまり宗教っぽくないですね。何曲か続けて聴いていると、おれは正直言ってちょっと退屈してしまいます。とんでもなく綺麗な曲ばかりなんですが...これぞ!というポイントに欠ける感じで、全体としてはぼんやりした印象です。あまりにも決定稿S173と関連がなさすぎる上に特徴に乏しすぎて、宙に浮いてしまったような感のある曲集です。

 1.「前奏曲」/ 2.「ランガール」/ 3.ホ長調/ 4.「大いなる幻影」/ 5.変ト長調/         6.「アテンテ」  / 7.「代案」/8.「M.K.

詩的で宗教的な調べ第2稿S.172a

第2稿は1847年にウクライナで作曲されました。今度は決定稿とだいぶ近くなって、全11曲。そのうち7曲[1, 5, 6, 7, 8,9,11]が決定稿に引き継がれています。「詩的で宗教的な調べ」を成立過程を知る上で絶対に外せない非常に重要な作品集になっています。1847年はウクライナでカロリーヌ・ザイン = ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と出会った年です。2月にカロリーヌとキエフで出会い、10月から翌1848年の1月までリストとカロリーヌはキエフの南のヴォロニンスという街で一緒に暮らしました。つまり第2稿はカロリーヌが側にいる状態で作曲されたということになるでしょうね。

1.無題(祈り[invocation])

これは決定稿S173に引き継がれました。

決定稿に比べると演奏時間も半分以下。シンプルです。この曲は本来は無題ですが決定稿と同じ「祈り invocation」と呼ばれることが多いようです。

2.夜の賛歌[Hymne de la nuit]

3.朝の賛歌[Hymne du matin]

2曲めの夜の賛歌と3曲めの朝の賛歌は、決定稿には引き継がれませんでした。夜の賛歌はノクターン風の音楽。ちょっと印象派風な趣きも感じ取れます。高音の煌めくような繊細な響きが印象的で、ハッとさせられます。朝の賛歌は巨大なパイプオルガンのような堂々たる輝かしさが圧巻です。ちょっとヴィドールのオルガン交響曲を思わせるような壮麗さです

4.マリアの連祷 [Litanies de Marie]

マリアの連祷は起伏に富んだ聞き応えのある大曲。これも決定稿には引き継がれませんでしたが、その素材は第1曲「祈り」と同一のものです(👆の動画の5m30くらいから聴いて下さい)。もちろん内的関連があるでしょう。

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おそらくこの音型は「マリア」ということなんでしょうね。            マリアへの祈り。またはマリアの祈り....。     そう思って祈り[invocation]を聴いて頂くととちょっと感じ方が変わるかもしれません。超感動的です。

5.ミゼレーレ [Miserere]

これは決定稿に引き継がれ、8「パレストリーナのミゼレーレ」になりました。タイトルもはっきりと宗教音楽のミゼレーレ(神よ、我を憐れみたまえ)ですし、音楽も宗教的合唱曲の雰囲気が濃厚です。楽譜にはもちろん歌詞が書き込まれています。

途中の展開が決定稿の「パレストリーナのミゼレーレ」よりもシンプルなので、その分短くなっています。


6.主の祈り Pater Noster

非常に慎ましく敬虔な作品。この曲はタイトルもそのままで決定稿S173に引き継がれました。演奏時間もほとんど変わりません。リストの同名の合唱曲S29の編曲です。

5の「ミゼレーレ」ではピアにスティックな装飾も少し使ったりしてましたが、この「主の祈り」はひたすらストイックです、装飾的なことはほとんど行われません。感動的なシンプルさです。リストの信仰心の深さを思い知らされます。リストはあまりにも人間的すぎて戒律を守れないこともよくありましたが、その信仰の核心は本物だったことがよくわかる音楽です。


7.眠りから覚めた子供への賛歌[Hymne de l'enfant à son réveil]

リストの同名の合唱曲(ラマルティーヌ詞)の編曲です。これは決定稿に引き継がれました。リストはこの合唱曲(1844/60-62/65/74)がお気に入りだったようで、何度も改訂しています。純朴で浄らかな合唱曲です。

8.(無題)

決定稿S173の「4.亡き人たちの思い」の前段階にあたる作品。S154から決定稿への途中段階の作品です。本来は無題ですが便宜的に「亡き人たちの思い」と呼ばれることが多いようです。聖歌「深き淵よりDe Profundis」がこの版から登場します。決定稿S173では「深き淵より」が重厚な和音で堂々と鳴らされますが、この第二稿ではアルペジオの煌めきの中に単音で現れてきます。S173の「深き淵」は合唱的に扱われますが、第二稿では非常にピアニスティックです。どちらも非常に印象的で、それぞれに捨て難い良さがあります。個人的には決定稿S173の「深き淵」の扱い方にはちょっと威圧感を感じてしまうとこともあり、むしろ第二稿の扱いの方に惹かれます。この感じが後年の「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」などに繋がっていくような感じもしますね。


9.教会の灯火 La lampe du temple

この曲はこの第二稿S172aから登場し、決定稿S173の「9 アンダンテ・ラグリモーソ」に引き継がれました。全体にちょっと東欧的な憂愁が感じられます。この時リストはウクライナに居ましたから、そこで耳にしたウクライナの民謡などの感覚に影響されているかもしれません。中間部、高音で分散和音が出てくると、メロディは素直に伸びやかになり、音楽はぐっと宗教性を帯びてきます。


10.無題

これは決定稿S173に引き継がれませんでした。華麗なアルペジオが特徴的な作品です。造りはちょっと11番に似てますが、ピアニスティックで華やかな技巧が前面に出たヴィルトゥオーゾな音楽で、宗教っぽい感じは希薄です。まあ、綺麗ですけどね。印象はちょっと薄いかもしれません。


11.無題

これは決定稿の「孤独の中の神の祝福」に引き継がれました。無題ですが便宜的に決定稿のタイトル(孤独の中の神の祝福)で呼ばれることもあるようです。決定稿に比べると全体にシンプルで、冒頭のアルペジョの音型が細かく、旋律が右手で比較的高い音で弾かれるのがこの稿の特徴です。重心が高くなっていると言ってもいいかもしれません。終盤、アルペジオの彼方で主題が歌われ(↓の動画の3:00mあたりからです。この場面、本当に崇高な美しさです)、最後は本当にあっさりと終わってしまいます。決定稿よりもこの第二稿のラストを好む方も多いかもしれません。



詩的で宗教的な調べS.173(決定稿)


1. 祈り Invocation

第二稿S172aから引き継がれた曲。シンプルな6連符の連打の中から息の長い旋律が輝かしく立ち昇ってくる神々しさは印象的です。宗教的豊かさに満ちた感動的な作品です。全体にゴージャスなので。中間部のささやかな素朴さが際立ちます(👇の動画の2m00くらいから聴いて下さい)。ピアニスティックな輝かしさと宗教性が見事に合致した素晴らしい作品。

チッコリーニ翁素晴らしい!おれは留学中にスカラ座でチッコリーニのコンサートを聴くことができて本当に幸せだった...

2. アヴェ・マリア Ave Maria

決定稿S173になって登場した曲。ひたすら慎ましく敬虔な音楽です。リストの宗教的合唱曲「アヴェ・マリア」が原曲です。「アヴェ・マリア」はピアニスト時代の1846に初版が出版されました。リストの宗教作品の中では最も初期の作品になります。素晴らしい曲です。もうこの頃から宗教音楽家リストの魂は芽吹いていたんですね!


3.孤独の中の神の祝福 Bénédiction de Dieu dans la solitude

『詩的で宗教的な調べ』の中でも、第7曲の『葬送曲』に次いでよく演奏される大曲。リスト作品の中でも屈指の名曲です。第二稿172aの11曲めが元になっています。第二稿の曲調の穏やかさは基本的にそのままですが、曲の長さが約三倍になりました。第二稿に比べると重心が低く、穏やかさが増し、音楽の息がぐっと長く(広く)なっています。これこそ孤独の中の平穏とゆーか、孤独の中の充足感なのかなと思います。光り輝くようなクライマックス(10:00mあたりから)は見事の一言に尽きますが、それ以上に素晴らしいのがその後のラストの部分の展開です。                                              Andante semplice(13:10mあたり)から最後までは感動的です。思わず跪いて祈りたくなるような音世界です。まさに詩的で宗教的....

この作品にはラマルティーヌの同名の詩の「おお、神よ、私を包み込むこの平安はどこから来るのか。私の心に満ちあふれる信仰はどこから来るのか……」が掲げられています。

そう、包み込む平安と満ち溢れる信仰!


4.亡き人たちの思い Pensée des morts 

原型S154→第二稿172a→と原型からずっと引き継がれてきた作品ですから、ある意味この曲集の核心と言ってもいいでしょう。

聖歌 「深き淵より」が引用されていることで有名です(↑↓の動画の5m28あたりから。↓の動画の楽譜を見ながら聴くとよくわかります)。「深き淵より」はリストが非常にこだわっていた聖歌です。ここでそのことについて触れると長くなりすぎるので、この記事の最後の方で改めてしっかり書きます。

調号も拍子もなかった原型S154と第二稿172aの冒頭と違って、決定稿S173には一応拍子が書き込まれて楽譜の見た感じはだいぶ普通になりました。あの異様な感じの譜面に比べるとちょっともの足りない気もします。一応5拍子にしていますが、やっぱり拍子感は薄いですね。

5.主の祈り Pater Noster

リストの同名の合唱曲S29の編曲です。冒頭の部分の楽譜を見てください。ピアノの譜面というよりは、完全にアカペラの合唱の譜面です。しかもめっちゃシンプルです。リストの曲なのにこの最初の部分は初見で簡単に弾けちゃう。!(◎_◎;)


6. 眠りから覚めた子供への賛歌 Hymne de l'enfant à son réveil

リストの同名の合唱曲が元になっています。リストが子供のような素直さで書いた美しい作品。一応の盛り上がりはありますが、非常に純朴で慎ましい盛り上がりです。時として壮大になりすぎたり威圧的になったり、ひどいときにはどんちゃん騒ぎみたいなクライマックスを書いてしまうことのあるリストですが、ここにはそーゆーやり過ぎで大袈裟なリストの感じはありません。なんという素直な美しさでしょう!第二稿S172aに比べると、こちらは曲調の様々な変化が目立ちます(気まぐれに無心に遊ぶ子供のように)。曲全体の落ち着いた「敬虔さ」を味わいたいなら第二稿S172aを聴いた方がいいかもしれません。

そして👆の動画のチッコリーニの素晴らしいこと!こーゆー老巨匠(この時チッコリーニ翁は85歳!)が子供のような素直さで奏でているのが本当に感動的です。

7.葬送曲 Funérailles

この曲集の中で最も有名で、一番よく演奏される作品です。「1849年10月」という副題を持つこの作品はオーストリアのメッテルニヒの反動政策に反抗して立ちあがり、失敗して処刑されたリストの祖国ハンガリーの友人たち。バッティヤ二ー伯、リヒノフスキー侯、ティレキ―男爵を悼んで書かれた曲と言われています。ハンガリーの友人の死への追悼の意がこもった音楽です。ちょうど同じ1849年10月亡くなったショパンへの追悼の思いも込められているのではないかとも言われています。実際、中間部はショパンの「英雄ポロネーズ」に似ています(いや似ているというより、明らかに引用でしょう)。故国のために戦った友人たちを「英雄」として称えるための引用だと言えますが、ショパンの「追悼」の意味もあるかどうかは時期的にちょっと微妙ですが、リストはショパンのことは当然思い浮かべたでしょう。リストはショパンの友人で彼の音楽を心から愛し、ずっと演奏し続けました。祖国のために戦って愛国的に散っていったハンガリーの友人たちを思うときに、リストがショパンのポロネーズを持ってきたのは自然なことです。マズルカじゃだめなんですよね。それだと愛国的闘争の象徴にはなりません。こーゆー場合は絶対にポロネーズです。

リストはショパンについてこう言っています「ショパンは、まさに魔術的な天才でした。彼に比肩するものは誰もいません。芸術の空には、ただひとり彼だけが光り輝いているのです。」

8. パレストリーナによるミゼレーレ Miserere, d'après Palestrina

賑やかに小鳥たちが飛び回りながら賑やかに囀るようなキラキラした細かい音符の中でミゼレーレが歌われるシーンが本当に素敵です。これは決定稿の名場面です(👆の動画の1m14sから)。

「パレストリーナによる」と言ってますが、パレストリーナの曲には該当するものがないようです。リストがシスティーナ礼拝堂で聞いたパレストリーナの旋律によると伝えられているらしいのですが... リストはミゼレーレに強いこだわりがあったようです。他にもアレグリのミゼレーレやヴェルディのトロヴァトーレのミゼレーレの部分を題材にした作品があります。

Liszt: À la Chapelle SixtineS. 461

Liszt, Verdi: Il Trovatore: Miserere, Concert Paraphrase S.433

ミゼレーレはいろんな作曲家が書いてますけれども、歌詞の都合もあったりして、どれを聴いても共通する「ミゼレーレな雰囲気」としか言えない感覚があります。例えば、ぜレンカ(傑作!)、 モーツァルトKV85、 カルダーラ、 プッチーニ、 グノー、 ペンデレツキが書いても基本的な雰囲気はやっぱり変わらないです。リストも同様です。

9. 無題(アンダンテ・ラグリモーソ) (Andante lagrimoso)

第二稿S172aの「教会の灯火」を引き継いだ曲。本来は無題ですがアンダンテ・ラグリモーソと呼ばれてます。ラグリモーソは音楽用語、寂しげにとか悲しげにという意味。もちろんラクリモーサ(涙)と関連する言葉です。

ラマルティーヌの詩「涙、または慰め」が掲げられています。曲はあまり宗教的じゃない感じで始まりますが、終盤に向かって徐々に宗教的な雰囲気が高まってきます。

👆の動画はリヒテルのキエフのライブ(リヒテルはウクライナ生まれ)。この曲はまずウクライナで書かれています。おれはこの曲に東欧的な憂愁の気配(はっきり言うとドゥムカ。)を感じているので...ウクライナ人のリヒテルの演奏はちょっと特別な感じがするんです。このどうしようもなく東欧的な憂いに沈み込んででいく感じが本当に素敵だと思う。

ドゥムカはいろいろ名曲があります。→Tchaikovsky Dumka, Op. 59Dvořák: Piano Quintet in A Major, Op. 81, DumkaDvorak: Slavonic dances Op46-2, Dumka  Janáček - Dumka for Violin and Piano

リストはウクライナのヴォロニンスでまさにそのものズバリ「ドゥムカ(ヴォロニンスの落ち穂拾いS249の第一曲)」を書いています(いい曲!)。 

どうでしょうか、「アンダンテ・ラグリモーソ」と雰囲気が似てると思いませんか?「ドゥムカ」も「詩的で宗教的な調べ」の第二稿s172aも、カロリーヌと一緒にしばらく暮らしたヴォロニンスで同時期に書かれたのです。たぶん二人がいちばん幸せだったときでしょう。リストはこの時期、耳にした民謡のメロディを楽譜に書き取ったりもしていました。


10.愛の賛歌 Cantique d'amour

華やかな技巧に彩られたロマンティックな作品。リストはこれを好んで演奏したらしいですね。また、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番はこの曲の華麗なピアノ技巧に影響を受けて書かれているそうです(チャイコフスキーはリストのピアノ作品を研究していました)。




余談:深き淵より[De profundis]

リストはずっと聖歌「深き淵より」にこだわり続けた。「深き淵より」は、その悲痛な内容から葬儀の際にレクイエムと共に歌われることで知られる(亡き人々が死の淵から主に呼びかけるという内容)。「深き淵より」は詩篇129番と書いてあったり130番と書いてあったりするがが同じもの(現代の数え方だと130番、従来は129番目の詩篇だったということ。リストの当時は129番だったということだろう)。

 De profundis clamavi, ad te Domine;
 Domine, exaudi vocem meam.
 fiant aures tuae intendentes                 
 in vocem deprecationis meae.

深い淵の底から、主よ、あなたを呼び求めます;
 主よ、この声を 聞き取ってください。
 嘆き 祈るわたしの声に
 耳を 傾けてください。


リストは1834年「深き淵より」を元にしたピアノ協奏曲(ピアノと管弦楽のための器楽のための詩篇「深き淵より」S.691)を書いています(ピアノ協奏曲第1番とほぼ同時期です)。それ以来、最晩年までずっと「深き淵より」にこだわり続けました。


1847年にはピアノ曲集「詩的で宗教的な調べ」第二稿S172aの「亡き人たちへの思い」に「深き淵より」を引用して、最終的に1851年に決定稿S173が完成する。「亡き人たちへの思い」はこの曲集の中心的な作品。少なくとも1847〜1851年までは「深き淵」は常にリストの頭の片隅にあっただろう。

その後、1880年にリストはその名もズバリ詩篇129番「深き淵より」(バリトン独唱、男声合唱、オルガン)の初稿を書き、1881年にはその改訂稿を完成させます。リストはもう70歳。つまり1834年、23歳のときに器楽のための詩篇「深き淵より」S.691を書いて以後70歳まで、リストは断続的ではあるもののずっと「深き淵より」に関わり続けていたわけだ。リストと聖歌といえば「死の舞踏」に「怒りの日(Dies Irae)」を使ったことや「夜の行列」に「歌え我が舌よ(Pange Lingua)」を使ったことが有名だが、「深き淵より(De profundis」へのこだわりは明らかに群を抜いている。


詩篇129 番「深き淵より」

リストは詩篇を10曲ほど書いているが、70歳の時に書いたバリトン独唱、男声合唱、オルガンのための「深き淵より」は飛び抜けて前衛的で特異な作品。調性は極めて曖昧とゆーより、限りなく無調に近い感じがする。当時のリストの和声感の異常な前衛性をはっきり表している。この詩篇129番に比べれば「無調のバガテル」や「暗い雲」も「不吉な星」もごく普通の調性音楽に感じられる。


「深き淵より(De profundis」は様々な作曲家が書いている。以下、様々な作曲家の書いた「深き淵より」を貼っておこう。これらにもやはり共通する「深き淵な雰囲気」としか言えない感覚がある(シェーンベルクのものですらそうなのだ)

#リュリ

リュリの深き淵も、凄い傑作。ぜひご一聴を。そしてリュリの「怒りの日」もぜひ併せて聴いて欲しい!

#ゼレンカ

ゼレンカはミゼレーレもそうだが。これまた傑作。ゼレンカは一般の知名度はそれほどでもなく残念だが、本当に天才。他にも凄い曲がたくさんある。(特に「エレミヤの哀歌」はぜひご一聴を!)

#ロイター (伝、モーツァルト)

モーツァルトの筆写譜で伝えられてきたために、長らくモーツァルトの作品だと思われてきた。今では、実はロイターの作であることがわかってる。ロイターには悪いけど、モーツァルトかなと思いたくなるような素晴らしさ。ロイター、すまん。

#サリエリ

👆サリエリのこの素晴らしい作品は、聖歌の形がよくわかるのでおすすめ。お経っぽいオリジナルの聖歌を聴くよりも古典的にスッキリしてるサリエリの方がよくわかると思う。

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#シェーンベルク

このシェーンベルクの深き淵は表現主義的で激烈なところもあるが、響きの感覚は晩年のリストと似ているところがある。

#アルヴォ・ペールト

ペールトの深き淵は、ミゼレーレと同様に素晴らしい。

余談:バッハのカンタータ12番「泣き、嘆き、憂い、おののき」とロ短調ミサのクルチフィクススによる変奏曲S.180

リストはバッハを心から尊敬し、バッハにちなんだピアノやオルガンの作品をいくつも残している。

この作品は娘ブランディーヌを亡くした時に書かれた。バッハのカンタータ12番「泣き、嘆き、憂い、おののき」BWV12の第二曲とロ短調ミサのクルチフィクススの両方に共通して用いられるバス音型を元にした自由な変奏曲。カンタータ12番の第二曲ではこのバス音型に乗せて「泣き、嘆き、憂い、おののき、悩み、苦しみはキリスト者の涙の糧」と歌われ、ロ短調ミサのクルチフィクススでは「我らのために十字架にかけられ...」と歌われる。リストがバッハに学び、カトリックとプロテスタントの壁を越え、ラメント・バスに乗せてバッハの信仰やその精神に歩み寄ってゆく姿はひたすら感動的だ。カンタータ12番はコラール「主の御業はことごと正し」が歌われ、悲しみや苦しみが救済される(悲しみが苦しみに変わることがこのカンタータの中心的なテーマなのだ)。リストもバッハに倣って苦しげな変奏のラストにコラール「主の御業はことごと正し」を引用して曲を閉じる。悲しみのどん底にいたリストは、バッハのカンタータをなぞるように曲を書くことで、救われたいと思っていたのだろう。

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この半音階で下降するバス音型は「ラメント・バス(悲しみのバス)」と言われ悲痛な気持ちを表す象徴的音型として多くの作曲家たちが使ってきた。リストは変奏曲の数年前、息子ダニエルが亡くなった時もこのラメント・バスを使って「泣き、嘆き、憂い、おののき」2よる前奏曲S179を書いている。




余談:十字架の道

リストの宗教曲の極北とも言うべき作品。編成は混成合唱とオルガン(またはピアノ)「十字架の道」S53は1878年から1879年にかけて作曲された。十字架の道はキリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘を登り磔にされる受難を聖金曜日に追体験する準典礼儀式。キリストの捕縛から磔、復活まで15の場面を、個々の場所や出来事を心に留めて祈りを奉げる。この儀式のためにカトリック教会には壁に捕縛から埋葬まで14場面stationの聖画像が掲げてある。最後15番目の復活の場面では聖画ではなく祭壇側に向かって祈ることになる。リストはこれを音楽で表現したのだ

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グレゴリオ聖歌の影響が強く、非常に切り詰められ、半音階的で不安定な音楽が特徴的。中世の教会音楽と後期ロマン派の複雑な和声と無調が、カトリックの聖歌とプロテスタントのコラールも、ラテン語とドイツ語まで混在するという非常に特異な作品。リストはここでバッハのマタイ受難曲を強く意識していて、だからドイツ語のプロテスタントのコラールが混入してくることになった。曲中でバッハの音型(B-A-C-Hシ♭-ラ-ド-シ)まで出現するという徹底ぶり。

この作品を聴くと、宗教音楽を突き詰めていったリストが最終的に無調にたどり着くべくして「たどり着いてしまった」感覚がよく体感できると思う。

聖画と同様に序奏と14の曲(塁=station)で構成される。

第一曲冒頭の3音レ-ファ-ソ (D-F-G) は『十字架の道』の中では十字架を象徴する音型として用いられていて、頻繁に現れ最期に、ピアニッシモで低音に十字架の音型レ-ファ-ソ (D-F-G) が現れて曲を終える。

十字架の音型はバッハもよく使った。音を星座のように線でつなぐと十字架の図形になる。バッハの楽譜は十字架の図形だらけのものも多い...

「十字架の道」にはピアノ独奏版とオルガン独奏版もある。

👇ピアノ独奏版 S.504a






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