ドヴォルジャーク:弦楽六重奏曲 イ長調Op.48 B80
2013年に書いた解説原稿を web用に手直ししました
弦楽六重奏曲 イ長調Op.48
ドヴォルジャークはその創作の初期から晩年まで室内楽作品を作曲し続けました。彼は音楽家としてのキャリアを劇場のオーケストラのヴィオラ奏者としてスタートさせました。弦楽器を中心とする室内楽は、彼の心の内面を素直に表現するのに最も適したジャンルであったと言えるでしょう。そして、ヴィオラ奏者としてアンサンブルを内声部から見ていたドヴォルジャークにとって室内楽というジャンルは特別なものであり続けたのです。14の弦楽四重奏曲をはじめピアノ三重奏曲やピアノ五重奏、弦楽五、六重奏も含むドヴォルジャークの室内楽作品は完全な形で現存する多楽章のものだけでも30曲以上残されていて、そこに小品や消失したものなども合わせるとかなりの多作であるといえるでしょう。
多作家作曲家の作品というのは筆が速い分玉石混交だったりもしますが、ドヴォルジャークは全然違います。常に高い芸術的水準を保っていました。ドヴォルジャークの仕事ぶりは全く無駄がなく、一日にほんの数時間しか作曲しませんでした。彼は自分でも驚くほどの速さ(わずか数日)で弦楽四重奏を一曲書き上げることもありましたが、その前には長い時間をかけた思考労作が必ず行われていました。彼は机の前の壁に崇拝するベートーヴェンの肖像画を飾っていました。彼は警告するような厳しい眼差しを向ける楽聖と毎日向き合って、楽聖の視線と対決するように作曲していたのです。
幸福感と安定した内面性を表現するときにドヴォルジャークがよく用いる「イ長調」で書かれた弦楽六重奏曲(ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2)は1878年、ドヴォルジャークの大ヒット作「スラヴ舞曲集」とほぼ時期を同じくして作曲されました。1878年はドヴォルジャークにとって公私共に実りの多い幸せな時期でした。6月には娘のオティーリエが誕生。大ヒット作品「スラヴ舞曲集第1集」を発表。暮れにはブラームスを初めて訪問しました、その帰途に若きヤナーチェクの心暖まる歓待を受けます。ヤナーチェクとドヴォルジャークはこの後親交を深めていくことになります。この頃からドヴォルジャークは多くの委嘱を受けるようになります。かわいい娘、幸せな家庭、注文もどんどん舞い込んで生活も安定してきます。忙しく充実した作曲活動。幸福な時期でした。
作品は4楽章構成。郷愁がこみ上げてくるような第1楽章は定石通りソナタ形式で書かれていますが続く第2楽章から一気にスラヴ舞曲集的になります。2楽章では民族舞曲「ウクライナの哀歌・ドゥムカで書かれています(ドゥムカはチェコ語で回想、瞑想という意味も持ちます)」、第3楽章では再び民族舞曲「フリアント(3拍子の速い舞曲)」を用いています。これ以降のドヴォルジャークは室内楽や交響曲に民族舞曲を積極的に取り入れるようになるのですが、この六重奏はその先駆けになったという点でも重要です。そして外国で演奏されたドヴォルジャーク最初の室内楽作品という点でも極めて重要です。フィナーレは変奏曲形式で書かれています。内声と低音が補強された充実した豊かな響きは極めて魅力的です。
ベルリンでの初演はヨゼフヨアヒムが行いました。
それにしてもドヴォルジャークのドゥムカへの愛着は相当なものです。この六重奏曲の二楽章はもちろん、スラヴ舞曲Op46-2、Op72-2、Op.72-4、ピアノ三重奏曲「ドゥムキー」、ピアノ五重奏曲は言うまでもありません(Op72-2はマズルカと言われたり諸説あるのですが、精神的にはやっぱりドゥムカだと思います)。ドヴォルジャークは失われつつあったチェコ独自の音楽文化を取り戻そうとして、「民族の闘争の中で音楽の役割とは何か」ということを常に自分に問い続け、悩み、戦ってきた人です。しかしドヴォルザークはチェコ一国だけに拘らず、自分の作品に外国の音楽を導入していきました。スラヴ舞曲集にもポーランドのポロネーズやマズルカ、ウクライナのドゥムカなど様々な外国の舞曲や民謡の様式が取り入れられています。ドヴォルジャークの考え方は汎スラヴ主義的で、チェコ一国だけではなく言語学的分類のスラブ語系の民族全体に広がっていました。だから「スラヴ舞曲集」なんですね。ウクライナのドゥムカはスラヴ的哀愁の極地のような音楽です(だからそれは「スラヴ民族の魂そのもの」と言ってもいいかもしれません...)。だからドゥムカは、同じ民族のドヴォルジャーク自身の哀愁の極地でもあったでしょう.....。
ドゥムカとフリアント Op.12
彼はピアノ独奏用のドゥムカも書いてます。Op.12は「ドゥムカとフリアント」です。スラヴ舞曲集と同じ汎スラヴ的考え方ですね。六重奏曲の2、3楽章とも同じです。
ドゥムカ Op.35
ドヴォルジャークはOp.35では対位法的にドゥムカを書いてます。バッハの感覚ですね。なんという感動的な音楽でしょう!ドヴォルジャークが当初プラハのオルガン学校で勉強したことを改めて思わずにはいられません。彼をヴィオラ弾きの方向から考えるのは大事ですが、「オルガン弾き」という面を軽視してはいけないなあと思います。彼は聖アダルベルト教会のオルガニストも務めていた時期があったのですから...
対位法的で変奏曲っぽいドゥムカ。非常に独特です。インヴェンション的にスタートしてサロン風の軽やかな舞曲に変わって、今度は荘厳で劇的なバロック舞曲に変化する。そして幻想曲的な最後のシークエンス(ちょっと東洋的な気配すら漂います)。
それにしてもエンディングの透明感が異常すぎる....。
奇跡的なラスト5小節。
この消えてゆく和音の果てにドヴォルジャークは何を見ていたのだろう。
Dumka
ウクライナの魂。
ヤナーチェクのドゥムカ、スークのドゥムカも素晴らしいです。必聴 スークもドゥムカに愛着があったみたいだなあ
プロコフィエフも書いてる。ウクライナ生まれだしね...
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