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プロコフィエフ・ピアノチクルスvol.2

[2015/03/22長野市竹風堂大門ホール]

今日のピアノは松橋朋潤さんです。プログラムに難曲トッカータも入ってるし、もしかしたらこの回は引き受け手がないかもしれないなんて、実は心配してました。松橋くんに引き受けてもらって本当に感謝してます。

卒業試験

さて1914年にプロコフィエフは音楽院の卒業試験を受けて卒業しますが、この卒業試験が大騒動になってしまってほんとにもうえらいことでした。

1914年、協奏曲の卒業試験のことです。同級生には上手いやつがごろごろいるので、ふつうにベートーヴェンやショパンの定番の協奏曲を弾いたんじゃダメだとプロコフィエフは思ったわけです。

じゃ、どうするか。

自作自演でいいじゃん 

という結論にプロコフィエフは達したのです。プロコフィエフはちょうどその頃に作曲したピアノ協奏曲第1番Op.10を自費で出版してこれを卒業試験で弾いてしまった。ふつうはピアノの卒業試験でこんなことはしません。前代未聞です。


そもそも音楽院の先生たちは自分たちの言う事を全くきかず反抗してばかりいるプロコフィエフについて はっきり言って業を煮やしていました。試験後の審査の会議では大もめにもめたそうです。まず、自作を弾いたことの是非から議論になって保守派の先生たちと新しい音楽に理解のある若いグループの先生たちで長〜い激論になってしまったのですね。審査の結果を待っていた5人の卒業生たちはあまりに長かったのでチェスをして待ってたそうです。(プロコフィエフはチェスが大好きでした)

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審査はほんの僅差でプロコフィエフが勝って一等賞になりました。翌朝の新聞には写真付きで記事が載りました。演奏や作品の依頼もきたようです。まずはよかったですね。

ピアノソナタ第3番Op28

ピアノソナタ第3番は16歳の頃のピアノソナタをその10年後の1917年、26歳の頃に改作した作品です。「古いノートから」とゆータイトルはつまり昔の作品の改作だって事を意味してるわけですね。次回聴いて頂く4番のソナタも同じ「古いノートから」とゆータイトルなんですが、これも同じ理由です。26歳のプロコフィエフといいますと、作曲家として一人立ちして既にストラヴィンスキーに続くロシアの新進作曲家として広く認められている時代なので、今回のお話よりちょっと先に行ってしまいますので、26歳当時の詳しいお話は次回まわしにさせて下さい。ソナタ3番は単一楽章約7分のコンパクトな作品です。メロディは10年前の作品ほぼそのままのようですが全体的には改作というよりはほぼ新作といっても差し支えないほど手が入っています。👇の動画はギレリスです。しかもなんとカラー映像!

この時期のプロコフィエフはちょっと前にお父さんを亡くして、音楽院の卒業も控えているので将来のことを真面目に悩んでました。お父さんは貴族の広大な農園の管理の仕事をしてました。少し財産を残してはくれましたが、プロコフィエフは男一匹 音楽で食っていかなきゃ!と強い気持ちで思い始めた頃だったのですね。そのためにはまず音楽院の卒業試験で一等賞を取ることだと決意しました。プロコフィエフは

「ぼくは一等で卒業することに決めた!」

と宣言してました。ペテルブルクの音楽院は名門ですから一等で卒業すると話題になるんですね。演奏や作品の依頼も来ることは来る。もちろん世の中そんなに甘くないです。そのあとが大変です。それでも宣言した通りちゃんと音楽院は一等で卒業したんですから凄いです。有言実行の男。

ピアノソナタ第2番Op.14


さて、ピアノソナタ第2番Op.14です。 1912年。21歳頃の作品 トッカータOp.11と同時期の作品です。卒業のちょっと前になります。

ソナタ1番とソナタ3番は単一楽章で演奏時間も7、8分と短いんですが2番のソナタは4楽章構成の堂々たる規模のソナタで、演奏時間も約20分とだいぶ長くなって本格的な大ソナタって感じになってます。初期のプロコフィエフの個性がよく発揮された充実した作品です。

トッカータOp.11

では次にトッカータを聴いていただきます。

前半のソナタ3番と同じ時期の作品です。これはもう超難曲としてめっちゃくちゃ有名な曲で、多くのピアニストたちから恐れられている作品です。

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