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ソナチネチクルス01

2013年5月19日(日)
竹風堂善光寺大門店3F竹風堂大門ホール
ピアノ:松浦香織

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本日はようこそおいで下さいました。
1999年以来今までずーっとピアノチクルスを開催してまいりました。最初は今タリーズコーヒーがある南千歳の昔の平安堂さんの中のホールといいますか大きな会議室のような場所でショパンのチクルスから始まりました。そして紆余曲折いろいろありましてこの竹風堂さんのすてきな会場に落ち着きましたが、それから何年経つんでしょうかもう、だいぶやってますね。今まではずっと一人の作曲家に絞ってその生涯を追いながらピアノ独奏用の作品を聴いていただくとゆースタイルでしたが、そのスタイルに、ぼくが飽きちゃったので今年度はがらっと趣きを変えてやっていこうと思ってテーマをソナチネにしました。いや、「ソナチネ」とゆーよりも「ソナチネアルバム」と言った方がいいかな。(ホントは「ピアノ教室の音楽」というタイトルも考えていました)従って、作曲家個別の生涯について詳細にお話したりってことはあまりないです。作曲家についてはちょっと触れたりする程度になるでしょう。で、今回のチクルスはちょっとサービスといいますか「お楽しみ」とゆー意味もちょっとあってブルグミュラーの25の練習曲 Op.100もたぶんほぼ毎回聴いていただきます。今回はあまり個別の作曲家には深入りしませんがブルグミュラーだけはたくさん聴いていただくのでブルグミュラーの話だけはちょっと長めにします。ソナチネアルバムもそうですが、こちらもピアノ教室の定番ですね!ほんとにいい曲が多いので、プロフェッショナルなピアニストがちゃんとコンサートのステージで本気で弾いたらさぞ素敵だろうと思ったんです。「ソナチネアルバム」の曲もそうです。お子さんが弾いてるのもかわいいものですけど、「プロが本気出してステージでコンサートのモードで弾いたらどうなるんだろう?聴いてみたいなってのが、今回このチクルスを企画したきっかけです」すべてぼくの個人的な興味から始まってます。同じような理由で、アンコールにも趣向をこらしてあります。前回のシューマンのチクルスでは毎回ピアニストのみなさんにトロイメライを弾いていただいてました、ショパンのチクルスでは別れの曲でした。今回も毎回同じ曲をアンコールで弾いていただくことにしてます。ベートーヴェンの「エリーゼのために」です。ぼくが聴いてみたい、とゆーただそれだけの理由で選びました。ピアノやり始めたお子さんのあこがれの曲です。コンサートはエリーゼのためにが出たらおしまいですので、そのあとはもう何も出ませんから、それ以上は要求なさらないようにお願いします。


さて、「ソナチネアルバム」ですが日本のピアノ教室の教材としては必須のものですね。今やってるよ!とゆーお子さんもいるかもしれませんね。いるかな?ブルグミュラーはどうかな? まあ、ピアノ習ったことのある方も必ずやったことあると思います。だいたいみなさんが使うのは全音から出てるこれですかね。これはケーラーとルートハルトとゆー二人の音楽家が編集してドイツのペータースとゆー出版社が19世紀後半くらいですかね、だいたいそんな頃に出版したもので二巻で構成されてます。この19世紀とゆーのが今回の重要なキーワードです、さてみなさんソナチネアルバムはどうですか、だいたい一巻の曲をやることが多いんじゃないでしょうかね。二巻はやったことないし持ってもいないってな方もけっこういらっしゃるんじゃないですかね?今回は二巻の曲もけっこうたくさん取り上げます。だいたい初級のレベルが終わると。ブルグミュラーがだんだん進んで終わりが見えてくるとソナチネやってみようか、なんてことになるんでしょう。レッスンでソナチネもらえるとちょっと子供心にちょっと偉そうな気分になるんじゃないかなと思いますけど、みなさんどうでしたか?今日もそんな順番で聴いていただきましょう。とりあえず、ブルグミューラーをあいさつ代わりにちょっと聴いてもらいましょう。初歩の初歩、ブルグミュラーの25の練習曲の最初の5曲ですね

25の練習曲 作品100(25 Leichte Etüden Op.100)より

1.すなおな心、2.アラベスク、3.牧歌、4.小さな集会 5.無邪気 

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ブルグミュラーはドイツのレーゲンスブルク生まれの作曲家です。フルネームはヨハン・フリートリッヒ・フランツ・ブルクミュラーです。長い名前です。レーゲンスブルクってご存知ですか、その旧市街は世界遺産にもされたほどの美しい古い街です。

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ぼくは少女漫画あまり詳しくないですけど池田理代子先生の「オルフェウスの窓」の舞台にもなった街です。

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彼は1806年生まれですから、1810年生まれのショパンやシューマンとほぼ同世代、ちょっとだけお兄さんってことになりますね。4つ違い。ところでブルグミュラーと同じ1806年生まれのドイツ生まれの作曲家がいます。フェルディナント・バイエルとゆー作曲家です。バイエル、ご存知ですよね!

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例の、みなさんピアノ教室に行っておそらく一番最初にやる初歩の超有名なピアノの練習曲を作ったバイエルです。これは豆知識ですね。バイエルとブルグミュラーは同い年。タメなんです。

ところでこのブルグミュラーの練習曲集ですけど、ドイツの作曲家の曲なのに曲名がぜんぶフランス語なのです、ぼくもどうしてドイツ語じゃないのかなーと思ってましたがブルグミュラーは1832年からパリに移って、その後ずっとパリで生活して活動してたんですね、ショパンもポーランドからパリに移ったのが1831年ですからちょうど同じ頃にブルグミュラーもパリにやってきたわけです。だからブルグミュラーはショパンとまったく同時期にパリで活動してたことになります。リストも もちろんそうです。パリも広いですけど音楽業界はそんなでもないですから、同じピアニストで作曲家だからどこかのコンサートやサロンで彼らはすれ違ったりしたかもしれないし、「こんにちは」くらい挨拶くらいしたかもしれない。ちょっとおしゃべりもしたかもませんよね。ブルグミュラーはお父さんも音楽家で弟も音楽家でしたから、音楽一家ですね、特に弟のノルベルト・ブルグミュラーは才能ある作曲家で、おそらくお兄さんより才能がありました。

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弟のノルベルトの交響曲はなかなかすばらしい曲でYouTubeでも聴けますからぜひ聴いて頂きたいですけど、たしかに立派な堂々たる音楽です。

ノルベルトは26歳の若さで亡くなってしまいましたが、メンデルスゾーンは「葬送行進曲 Op.103」をノルベルトのために作曲しました。また、シューマンは、その若すぎる死をシューベルトの死と並べるような形で悼んでいます。そしてシューマンは3楽章スケルツォの途中までで残されたノルベルトの『交響曲第2番』を補筆しています。シューマンが補筆完成したので、この未完成の交響曲は一応全3楽章の交響曲として演奏できるようになったんです。充実した素晴らしい作品です。フィナーレが無いのが本当に残念です。

ショパンもノルベルトの死を悼んでいます。メンデルスゾーン、シューマン、ショパンがその才能を認めていたほどの作曲家だったんです。そのお兄さんですからね、ショパンもシューマンもこの25の練習曲の方のお兄さんのブルグミュラーのことは、おそらく知っていたことでしょう。そんなことも知っていただいた上で、お兄さんのフリートリッヒ・フランツ・ブルグミュラーのエチュードをまず最初の5曲ですね、初歩の初歩の曲です。早速聴いていただきましょう。

さて、ブルグミュラーは19世紀前半の作曲家だとゆーことをお話しました。これから徐々にソナチネアルバムの方に話を移しますけれども、バイエルも19世紀前半の人です。重要なキーワードなので繰り返しますが「19世紀」です。その昔、音楽は一般市民のものではありませんでした。イギリスが産業革命を成し遂げて、音楽がだんだん一般市民のものになり、一般市民がそれなりの経済力を持ち、コンサートに行くようになって、一般の音楽愛好家が増えてくるようになるのです。特に19世紀に入るとピアノが市民社会にも普及するようになっていきます。イギリスのブロードウッドとゆーピアノの会社が19世紀に入ってから今のアップライトピアノよりも小さめのスクエアピアノの大量生産を始めたのも決定的でした。

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いまの日本だってあまり変わらないでしょう?例えばグランドピアノは手が出なくても、アップライトとか...それもダメなら電子ピアノならまあ何とかなるか。ピアノ教室やピアノ教育の繁栄とピアノの普及は密接な関係があります。例えば、昭和30年代40年代の日本のことをちょっと考えてみましょうか。日本の経済力がぐんと上がって、一般の庶民も団地とか文化住宅に住んでテレビやアップライトピアノを置いて子供にピアノ教室に通わせることが一種のステイタスだったりもした。何しろステイタスですからアップライトのピアノに奇麗なレースのカバーをかけたりして、ささやかな居間にこれみよがしに(インテリアの一部のように)置いたりするわけです。ちょっとした高級感を家族みんなが味わったりもしてたんです、日本にもそんな時代があったんです。経済も上り調子で、子供の教育にお金をかけられるようになってきた。まあ、「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界ですね。あれよりはちょっと後の感じかな、サザエさんなんかもそんな時代背景ですね。ドラえもんもそう。まだ空き地に土管があった頃ですよ。

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子供の数も多かったし、ピアノ教室の数も多かった。ヤマハとかそーゆー楽器屋さんだけじゃなく個人の先生も今より多かっただろうし明らかに勢いがありました、当時は電機メーカーの東芝がやってる東芝音楽教室なんてのもあったんですよ。覚えてる方いらっしゃいますかね。東芝は電気のメーカーなのでピアノではなくて、電子オルガンを作ってて(オーケストロンとゆー名前だったと思います。ヤマハのエレクトーンにオーケストロンは負けた格好になって、東芝は電子オルガンから撤退しました。)、これを音楽教室をやることで、需要を増やして販路を拡大しようとしてました。これは19世紀のヨーロッパの感じに似てると言えば似てると言ってもいいかもしれない。鉄工業を中心とした産業革命で市民が経済力を持ち、余暇に音楽を楽しんだり、子どもにピアノを習わせたり、教育にも時間やお金を回す余裕が出てきた。日本もそうですね(日本の場合は少し時代が後になるのでピアノと同時に電子オルガンも台頭してきます)工業が発展して、高度経済成長の波に乗ったので、そうなったわけです。鉄工業が確立したから鉄のフレームを持つピアノを作ることができた(木だけだとピアノの製造は無理です。ピアノという楽器は、楽器ではありますけど、数あるいろんな楽器の中でもすっごい工業製品とゆーかマシンとゆー側面が強いのです。)。19世紀の技術革新と産業化を象徴するのはなんと言っても鉄の技術です。ピアノという楽器はマシンとゆー側面も強いので、鉄と密接に結びついています。鉄は近代文化のバロメーターですし、それは同時にピアノの進化のバロメーターでもあるわけです。
いくら市民がお金を持つようになったと言ってもなかなか大きなグランドピアノは高額すぎて手が出ません。今だってそうですよね。小型で廉価のスクエアピアノが開発されて、一般市民の家庭に普及していったから、ピアノ教師やピアノ教室が確立して、そのための楽譜が必要になって、教育用の曲や練習曲が必要になる。需要が発生するわけです(アップライトピアノより少し小さい感じのピアノです。ちょっと大きめのテーブルみたいな感じのピアノです。)。だから作曲家もそーゆー曲を注文されるし、出版社も、子どもや愛好家の数だけは売れるわけですから、一生懸命出版して、売る。例えばですね、ブルグミュラーの25の練習曲の楽譜ですけど、日本でもいろんな出版社から出てますけどいちばん有名な全音の楽譜は年間9万部売り上げるそうです。これはクラシックの楽譜で言えばもう、大ベストセラーです(日本の書籍のベストセラーの定義では10万部売れた本がベストセラーです)。ここまで売れる楽譜はほとんどないです。こんな感じでずっと売れ続けている訳ですから、累計にするとどうなるんでしょうかね。まず、ピアノが普及すること、ピアノを習う子が増えて、ますますピアノが売れて、更に楽譜も売れるようになるし、ピアノの先生も作曲家も調律師さんも生活できるようになるとゆーサイクル、これが重要なんです!このサイクルがあるので例えばヤマハも我々の身近で言えば(長野で言えば)ヒオキさんも美鈴さんもやっていけるわけです。このサイクルが崩れるともう大変。今の日本は残念ながら崩れつつありますね。少子化と長く続く不況の影響で、子供の教育にお金をかける余裕がないし、子供が少ないので音楽教室も閑古鳥が鳴いてます。非常に深刻な状況です。従って、ピアノも売れない。習ってる子供もいないし、お金もないし...

クレメンティ:ソナチネハ長調Op.36-1
、ソナチネへ長調Op.36-4

これからいよいよソナチネアルバムの曲を聴いていただきますが、クレメンティの曲です。どちらもたぶんみなさんよく知ってる曲だと思います。特に1曲目のハ長調はもうこれはソナチネアルバムを象徴するような曲ですね。たぶんソナチネアルバムで一番最初にもらう曲じゃないですかね。クレメンティはロンドンで活躍したイタリア生まれのピアニスト兼作曲家ですけれども、先ほど言ったピアノ売って、ピアノが市民社会に普及して、ピアノを習う子が増えて、楽譜もついでに売れて、とゆーサイクルをひとりでやっちゃった人です。この人はベートーヴェンやモーツァルトの時代の人なのでそーゆー意味では先見の明があった人と言えるでしょうね。クレメンティは作曲家でピアニストでしたが同時にピアノ製造業者で、楽譜出版業者でもあって、更に優秀なピアノ教師でもありました。クレメンティはそのサイクルをよく理解していた超優秀な実業家でもあり、多角的経営音楽家だったわけです。

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クレメンティはバイエルやブルグミュラーより前に、学習者のための練習曲を書きました。「グラドゥスアドパルナッスム」がそれです。あのベートーヴェンも評価したとても勉強になる良いエチュードです。リストもこの教本を使って勉強しました。いちはやく産業革命を成し遂げたイギリスはピアノの製造も盛んで、ピアノの普及も進んでました。そーゆーロンドンにやってきて、ピアノの製造して、楽譜出版してとゆーことですから、もう、実業家としては最高の場所で、絶妙なタイミングで商売を始めたってことになると思います。当然、クレメンティはイギリスのピアノ人口の裾野の拡大を視野に入れて商売を始めたことになるわけです。フランスのイグナツ・プレイエルも同じです。イギリスに次いでフランスもパリを中心にピアノが普及して、ピアノ人口の裾野が広がってました。クレメンティと同世代のプレイエルも作曲家で出版業者でピアノ製造業者だったんです。どこかで耳にされたことあるかもしれませんけどショパンもプレイエルと専属契約をして、そのピアノを使ってたのは有名な話ですよね。リストはエラールの専属だった時期があります。
そんなフランスのパリにショパンやリストやブルグミュラーがやって来て活動したのは当然のことだったでしょう。ピアノ人口の裾野の広がりが決定的な理由のひとつでもあるんです。
ショパンに影響を与えた作曲家でジョン・フィールドとゆー作曲家がいるんですが、フィールドもクレメンティのお弟子さんでした。フィールドはクレメンティから指導を受けながらクレメンティに付き添ってヨーロッパ中を旅して回りました。これはクレメンティのピアノを売るための旅でした。フィールドはクレメンティのピアノの優秀さをアピールするために、クレメンティのピアノを実際に弾いてみせていたわけです。つまり、実演販売みたいなものですね。そんなクレメンティですから、楽譜販売の方も抜け目がありませんでした。これから聴いていただくソナチネ2曲は「6つのソナチネ」作品36とゆークレメンティの書いた学習用の曲集の中の2曲なんです。エチュードも売れたでしょうし、ソナチネも売れたでしょう。今だったら、この有名な方のソナチネ1曲だけでも彼は食っていけたでしょうね。では、天才的な多角経営者だったクレメンティのソナチネ2曲を聴いていただきましょう。

クレメンティ/ソナチネハ長調Op.36-1(ソナチネ・アルバム第 1巻第7番)

クレメンティ/ソナチネへ長調Op.36-4(ソナチネ・アルバム第 1巻第10番)

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