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少し胸がざわめく時に

言葉の置き場としてnoteを使ってみる。

11月末が次の〆切だから、昔mixiでやっていたみたいに長めの文章を書く練習を始めたほうがいいかしらと思ったのもある。

丑三明美というのは初めて文芸同人誌に寄稿する時に考えた筆名である。元々明美というハンドルネームを古くから使っていて、これからの自分の何かしらの活動に使う為に何かそれに苗字がほしいと思って考えた。明美は自分が胎児だった時の仮称であったから親がくれた名前だけれど、丑三は自分で考えて付けた名で、牡牛座の頃の生まれなのと出生時間も深夜だから丁度いいと思ったのだった。また私の本名は難読なので、誰でも迷いなく読めるものがよかった。一旦名前を決めたらずっとそれを使うつもりだったので慎重に悩んだが(複数の候補から検討し画数も見た)uniqueで気に入ったものができて満足した。と同時にこれからは今迄以上に自分の発言に責任をもたざるを得なくなるなというのが当初の気持ちだった。noteを始めるにあたり仮で設定していたビルマ名——6月に語学の先生がくれた——လင်းလက်はリンレッと読み、ビルマの曜日占いと命名の規則に沿っているだけでなく、「明るい・鮮やか」という意味がある。それはそれで気に入っているけれどほとんどの日本語話者が読めない為正式に採用はしなかった。先生は私の本名と曜日と画面越しの雰囲気だけからビルマ名を付けてくれたのだが、偶然にもそれが明美という我が古い名前と呼応していることが嬉しかった。

現実の私を知っている人であれば知っていることだけれど、私は元来根っから明るい人間ではないから、明るく美しいさまを希望したくて、幾つかあった仮称からこの名前を選んだ。

もうほとんど更新していないけれどmixiで絵本の月の画像がアイコンの明美は私です。昔は本当によく文章で会話した。当時は長い文を一個人として気軽に投稿できるプラットフォームはmixi日記くらいだった(はてなは独特な文化もあって使わなかった)、映画のレビューも書いた。その頃とはとりまく環境が変わって即席の短文のやりとりがほとんどを占めるようになってしまったけれど、noteやfilmarksのような使いやすいサービスも現れたことだから、インターネット老人として再び文章でも書こうと思っている。htmlタグ直打ちして個人ホームページ作る計画もあったんですが最初に凝りすぎて管理が手間で更新が億劫になり数年前に頓挫しました。でもあの雰囲気が本当に好きなんだよなあ。

好きなページのリンクを貼ってみる https://poolside.fm

かつて飲食店をやっていた人によるお料理レシピを主とするブログがあって、ここ半年くらいずっと読んでいる。お蔭で食材の使用方法に対する理解が深まり、自炊の対象が広くなったのでとても感謝している。私はその人の料理に対する定性的な見方や率直さが彼の放つ皮肉も込みで好きだった。ところが最近の彼のプライベートについての日記を読むと、なんだかレシピを書いていた頃よりも意地悪で嫌味な感じが濃く出ている気がして、ああこの人は今なお拗らせてるんだなと感じた。腹が立ったこと、疑問に思うこと、残念に思うこと、自分の考え感じていることを共有できないと人はどんどん孤独になっていく、実際にはそうでなくても孤独感が強まって拗れていく。言葉の棘が面白さ・軽妙さでカバーできない段階まできてしまうとますます近寄り難い人になってしまう。そんなことを思った。またこの人は褒められたいんだろうなとも感じた。見たところ彼は愚直に努力ができる人で、時たまほんの少しだけ弱音じみた言葉を吐く。適切に評価されたい、頑張っていることを誰かに褒められたいという欲求が根源に流れているんじゃないかと思った。私は彼が救われてほしいと思う。人には同志的存在が必要だと自分の半生を省みて思う。けれどそれを得るのには場とタイミングと運が効いてくる、もつものともたざるものとで本人の条件は実はそう変わらない。でもものにすることができる場合に、一方的にそのチャンスをふいにしてしまう一種の愚かな厳しさというものがある。そのような悲しい厳しさをうまくいなしてほしいなと、自分のことを振り返りながら彼に対してそう思う。


すごく久しぶりに椎名林檎を聴いた。もう最近の曲も聴けたものではないし過去の曲も聴きかえすことはほとんどないのだけれど、幾つかやはり良いと思うものはあって、それだけでも素晴らしく肯定的な気持ちを持っていられる。

体調はそれなりだけど椎名林檎を聴きかえすような精神状態。京都はもう肌寒い。養生しなければやられる。少しは明るく生きられるように願って言葉を探している。

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