Chimney town 푸펠 (Pou-pel)

DISCLAIMER

 本文章は映画『えんとつ町のプペル』とは無関係です。筆者はその映画について内容はおろか正確なタイトルですらたった今ググるほど何も知りません。これ以降の文章について筆者はその内容について何ら真実性を保証するものではなく、これ以降の文章を読むことはそのことについて無条件に承諾したものとします。読んだことによる損失およびその責任について、筆者は一切これを負いません。

푸펠 (Pou-pel)

 その街の名は太平洋戦争の直前、フランスの上海租界が賑やかだった頃に航路を誤り朝鮮半島にたどり着いたフランス人から名付けられたと言われている。大方ブベールとかそのあたりの名前が訛ったものなのだろう。

 航路を誤って来たのならばそのまま帰れば良いものを、ブベール御一行は街がまだ欧米列強に手を付けられていないのを見るや、ご多分に漏れず商工業拠点としての開発を始めてしまうのであった。それがこの街が街として今に至る理由である。

 ブベールが訪れる前はただの漁村でしかなかったらしいが、今この街で魚を獲って暮らすものはいない。第一次産業から第二次産業への転換に加えて、工業化による水質汚染という世界中が通ってきた道を今まさにこの街も歩んでいる。たまに獲った魚を食べた新参者のホームレスが道端で苦しんでいる姿を目にするぐらいである。

 プペルには多くの工場があった。街の就業人口のほとんどが工場か工場労働者向けの飲食店や歓楽街に属する典型的な地方工業都市だ。だがこんな街の工場労働者にもグローバル化の波は容赦なく襲いかかってきた。非正規労働、低賃金、未整備の社会保障等、負の側面も漏れなくグローバル化が進んでいた。植民地や奴隷といったものが遠い過去の話になってしまった以上、自国の企業を国際競争から守るため、国内から格安の労働者を産み出す体制へと国が舵を切るのはどの国でも自然なことである。

 なお、私が今回この街を選んだことに特に理由はない。

同じ毎日の違った何か

「私は街から街へと旅をして歩いているんです。それぞれの街には暖かな人々がいて、そういう人たちとの交流っていうのかな、それが私のライフワークなんです。お金?もちろんお金はかかりますよ。でも私は皆さんとお話させていただくことで心が豊かになっていくんです。年々収入は減り、税金は上がる。お金なんて全然増えませんよ。でもね、私は気づいたんです。お金の豊かさだけで語る時代は終わったんじゃないかって。お互い苦しさを分かち合いながらも心豊かに過ごしていく。これこそがこれからのあるべき生き方なんじゃないかって。あなたもそう思いませんか?」

 私の言葉に女はポカンとしていた。工場労働者向けの食堂で毎日機械的にやってきては機械的に飯を掻き込む客に対して、機械的に注文を受けては機械的に食事を出すだけの毎日に突然心の豊かさがどうのという話をされたのだから無理もない。

「あぁ、ごめんなさい。急にこんな話をして何事かと思いますよね。お金はちゃんとあります。食い逃げなんかしませんから安心してください」

 昼食の戦場のような忙しさが一段落し、女は少し離れた椅子に腰掛けて私の話を聞いていた。積極的に聞いてくれているのか、それともただ椅子にもたれかかった耳と目に私が入っているだけなのかはわからないが。

「私もね、毎日がずっと同じで、これからもずっとこんな同じ毎日が続いていくものだと思っていたんです。思い出してみてください。最近何か嬉しかったことや楽しかったことはありますか?何かに心動かされたことは?」

 女は表情一つ変えることもなく私を見ている。変化の無い毎日に慣れきってしまい、今さら何を言おうというのかといった顔だ。負の感情すらとっくに諦めてしまっているのかもしれない。私は鞄の中から1冊の絵本を手に取り女に渡した。

「私は皆さんと感動を共有する仕事をしているんです。世の中にはお金の本とかビジネスの本とか自己啓発書とかそんな本ばかり溢れてますけど、それでみんなお金持ちになれましたか?お金持ちになるのはいつだってそういった本を売る側ばかり。結局貧しい私たちは貧しいままです。しまいにはお互いがお互い、自分が他を出し抜いて豊かになろうなんて考えるから人間関係までギスギスしてきてしまったりして。経済的には豊かにならないばかりか、心は貧しくなっていく一方です。私はそんな状況にうんざりして、絵本を描くこと、絵本での感動を通じて皆さんの心を豊かにしていこうと思い立ったわけなんです」

 女は一度パラパラと最後まで絵本をめくった後、また始めから1ページずつ手を止めて読み始めた。興味の一線は越えただろうか。

「今まで色々な方々に読んでもらって、嬉しさや悲しさを一緒に語り合いました。いかがですか?皆さんに凄く喜んでいただいた絵本なんです。貧しい少年が友との出会いから夢を求める旅に出る。様々な困難を友と乗り越えながらも最後に掴む夢。しかし夢と共に訪れる悲しい友との別れ。私たちが忘れてしまった何かがここにはあると、読んだ皆さんは口々にそうおっしゃいます。だからあなたにもきっと心に響く何かがあるんじゃないかと思うんですよね。よろしかったらそちらの本は差し上げます。お金?いえいえ、気に入っていただけるなら結構ですよ」

 女は一瞬戸惑ったように見えた。当たり前だ。少年の夢と友情の物語なんて小学生でも考えつくような陳腐な内容なのだ。感動のテンプレートは一通り踏襲してはいるが、何も目新しいものはない。まあ、タダならとりあえずもらっておこうといったところだろうか。

「ところで」

 女が絵本の内容を反芻し「皆が感動した場所」を探す中、私は切り出した。

「その絵本の最後、少年の親友が遠くへ行ってしまうのがあまりにも悲しくてですね、これは他の街の方々ともお話したんですが、私たちもその少年の心になって『親友』を思いを馳せながらこの絵本について語り合う場を設けたいと思っているんです」

 人には戸惑っているところにさらに戸惑う何かが起こると、それを正常と感じてしまう心理でもあるのだろうか。一方的に私の話を聞く側だった女はとっさに「いいですね」と言った。

「いや、無理はなさらなくて結構ですよ。私も他の街の方々も、心から感動したことだけをお互い共感したくていらっしゃるので、さすがに無理強いはしたくないんです。え?どれくらいの人たちが来るのかですか?今はまだ声をかけ始めたばかりで123人ぐらいしかいませんが、当日近くなれば1000人から2000人ぐらいにはなるんじゃないでしょうか。あ、でも、困ったな。この辺大きい会場だと1200人ぐらいしか入れないんですよね。1200人になったらそれ以上の人には別の機会に来ていただくしか……。はい?今すぐエントリーしたいと?いやでも本当に良いんですか?そうですか。行かずに後悔するぐらいなら行って後悔した方がとも言いますもんね」

 そこまで言って私は一瞬顔を曇らせた。いつものように。

「あの……、とても言いにくいことなんですけど、会場の設営費として10万ウォン(1万円)ほどのご寄付いただけると助かるのですが。やっぱり、申し訳ないかな……。え?出していただけるんですか。それはそれは大変助かります。それではこちらにご連絡先をいただけますでしょうか。詳細のご連絡とチケットは後ほど送らせていただきますので」

 暖められた灰色の煙は暗い煙突の中を空に向かって上っていく。青く澄んだ空を目指して上っていく。

 その日もプペルの空を灰色の煙が覆っていた。

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