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(未定)

劣等感を、孤独を、珍しく感じてしまった。突然どん底に落ちた気分になってしまったのだ。映画にあるような、何かに吸い込まれて途端に落ちていく、あの感じ。以前ストーリーで答えた「愛がなければnoteが書けない」 のことを考えていた。どれだけ愛に飢えているのだろう。愛を貰いたい、それと同じくらいに、愛を伝えたい。あわよくば、貴方に。

言ってしまえば、此処の人間に毎日愛は貰っているし、伝えてもいる。それが私を立たせているのも事実だ。しかし私がいま求めているのは、画面越しに親指で伝える愛よりも、声や体温といった、直接的な、感じることのできる愛である。

薄情で無責任な、誰に対しても吐いているような自己満足の愛であるならば、わたしは要らない。

「愛は熱いうちに伝えろ」

毛髪( @unwkr )さんの言葉である。私の大好きな、モットーにしている言葉だ。思った時に、感じた時に、すぐに伝えればいい。躊躇う必要も、しまっておく必要も無い。私が伝えた愛を捨てる人など、愛さなくていい。受け取ってくれる人を、大事にしてくれる人を、愛し返してくれる人を、私が愛せばいいのだ。

「この人が居ないと生きていけない」に強い憧れを抱いている。そう思いたいし、思われたい。しかしそれと同じくらい、執着や依存ではないかという疑いの目をもっている。いまの私には「貴方が居なくても生きていける、けれど愛している」の方が好ましいのだ。こんなところまでも、身勝手で捻くれている。

ところで、何故急にセンチメンタルに陥ってしまったのかについてだが、感受性が豊か故であろうと思っている。以前ツイートしたが、映画にしろ曲にしろ、負の感情ばかりに入り込んでしまい、ハッピーエンドの部分に焦点を当てることができない。映画であれば、観ながら入り込み、悲しくなり、落ち込んで、映画の内容が記憶から薄れるその日まで、センチメンタルでいるくらいである。今日も、愛がなければnoteが書けない、愛が欲しい、与えたい、と深く考え込んでしまってセンチメンタル、吐きそうなくらいの劣等感と孤独感に襲われたという訳だ。


丸ごと愛されたい。そんな劣等感も孤独も、取り払ってくれるような人間に。好きと伝えたら、好きと返してくれるような人間に。





真夜中に思いつきで つらつらと綴った独り言のようなものですが、ここまで読んでくれた貴方に感謝と愛を。


愛に報われ、幸せを理由に涙する日が訪れますように。私が正義で正解。どうせ幸せになる。貴方も。


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