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藍白



嘗て私が捨てた記憶、消えていた過去が、この頃やたらと頭に浮かんでは離れない。砂のようにさらさらと、風に飛ばされたかの如く消えたはずの過去。耳の真珠を見ても、煙草を吸う時目に入るガラスの指環を見ても、巻き戻し再生でもしたのかと思うほど、鮮明に浮かぶ。苦しい。匂いも声も、勿論 顔も、もうとっくに忘れた。そうであるのに、貴方から貰った、今はもう無い指環を、言葉を、行動を、全て未だに覚えている。頭を撫でてくれた手を、優しさを、覚えている。柔らかくて暖かかった。それでも死んで欲しかった。優しい記憶と共に、憎い悔しい、嫌な感情が出てきてしまう。あの時ああすれば良かっただの、そんな未練や後悔はまるでないのに、記憶が蘇っては懐かしく愛おしくて涙が出る。辛くて苦しくて堪らない。


「もしこれから一生会えないってなっても忘れられるわけが無い」
離れようとする私に、貴方は何度も言った。本当にそうだろうか。今でも思い出すことなんて、あるのだろうか。いや、離したくないと言っていた貴方が、最後はすんなりと身を引いたくらいである。きっと私は居ない。もう離れたい、忘れて欲しい、とたくさん言ったけれど、いざそれが現実となると、寂しいと思うものなのね。


"忘れたいと思ううちは忘れることを拒んでいる。" きっと心の奥深い、無意識な領域のどこかで、忘れたくないと思っている自分がいるのかもしれない。例えばいま目の前に、運良く神だか天使だかが現れて、「彼との記憶を消すか?」と聞かれたとしたら、私は迷うことなく消してくれと頼むだろうけれど。


煙草を吸う横顔も指も大好きだった。運転中に手を握ってくれるのも、車を降りた時だけに感じられたあの身長差も、口から出た言葉だけでなく、親指で紡いで送られてくる言葉も、全部ぜんぶ大好きだった。彼は私への対応マニュアルを持っていたに違いないと、今でもずっと思っている。


太陽が沈んだばかりの藍色の空を「貴方の色ね」と私は随分前に言った。年が明けて、藍色のガラスの指環を彼に贈った。彼が未だその指環を着けていることを知った。右手の薬指、指が閉じづらくないよう、私が着けているものよりも細いもの。どうせ何も思っちゃいないのだろう。私は物と人を結びつけているので、別れたあとも使い続けたことは、一度たりともない。自分の気に入ったものだから使い続けるだなんて、私には到底理解ができない。まあ人それぞれなんですが。


光のない真っ暗な瞳の貴方が、私にはとびきり優しくて暖かな貴方が、好きでした、きっと誰と出会っても、生涯貴方のことが好きでしょう。

クリスマスに連れて行ってくれた水族館、外環に国道、深夜のコンビニ、山から見た少し劣った街夜景に、首都高の夜景。憎いのに美しい。
貴方の教えてくれた植物園、夢の国、ツーリング。叶わなかったこと。










もう会うことの無い貴方へ

今でも尊敬しています。



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