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Friendship is a single soul dwelling in two bodies.

はじめに…

斉藤壮馬さんの2ndフルアルバム『in bloom』に収録されている、【st. 逢瀬】の世界観を、映画『君の名前で僕を呼んで』をきっかけに空想してみました。
これは「光と影」そして「時間」の2つに着目して主に詩を読み解いた記録になります。
※この記録はあくまで思考の道筋なので、あえて歌詞や映画の内容などは記していません。

《音楽》
ウクレレやアコースティックギター、そして自然のなかにいるような環境音が聴こえる。
そのオーガニックな雰囲気は、まるでクレマ(北イタリアの避暑地)のような地上の楽園を訪れた気分にさせてくれる音楽だ…


光と影について

【木漏れ日】…木々の枝葉の間から差し込む日の光。
きらきらとした光で、そこは心地よい幸福感に満たされているが、決して手にいれることはできない。
【影法師】…光が当たって出来る人影であり、人そのものではない。
そもそも「影法師」の【法師】は僧侶の意味ではない。
推察するに、「影」が魂に付随する第二の魂ともいわれるため、幽霊ではないが俗人から離れている不思議な存在を表現しようとして、物事を擬人化する意味をもつ「法師」という言葉を用いたのではないだろうか。

前述の通り、映画『君の名前で僕を呼んで』をヒントにこの曲を繙く。
この映画のタイトルでもある"自分の名前で相手を呼ぶ"という行為の意味を考えたとき、2人はお互いが自分の探し求める半身であり、かつては自分だったもう一つの半身に自分の名前で呼びかけているのではないかとおもった。
「わたし」と「影法師」の関係は、この映画のそれに近いように感じる。

そして、木漏れ日と影法師では「光と影」の関係が印象的だ。光の中でしか影は存在しえないので、木漏れ日のなかがふたりの逢瀬なのだろう。
(光そしてそれを遮るもののない世界では"歩いてゆけない"のだから…)


時間

『こもれびの中でふたり 身を焦がしてゆく』
『このままここに いてもいい?
      答えずに くちづけを』
『壊れたフィルム とまらないで』

これらより、「わたし」は大切な場所・時間がなくなることを、理解した上で恐れているのではないだろうか。

そして最後の『ゆらゆらめいている』では、主語が「影法師」なら不安定な感情を「大気」ならゆらめく情景の連想させる。
【陽炎】…①光と影が、微妙なたゆたいを見せる現象で蜃気楼ともいう。② とりとめのないもの、見えていても実体のないもののたとえとされることが多い。また、かげろう(蜉蝣)と混同して解され、はかないもののたとえとなることもある。
どちらにしても、実際に失いつつあることを予感させているようだ。

そして作詞家は、《in bloomというよりin limboというような曲》と明言している。
わたしはこの意味を〈忘却のかなた〉と捉えた。忘れるという意味の忘却と、離れた場所を表す彼方という言葉を組み合わせた表現だ。

つまり物語が過ぎ去って、何年も経った後の回想こそがこの曲なのではないか?

"時間"とは、過ぎ去っていくものなんかじゃなく、どの出来事も今もそこで生きているものだとわたしは考える。"記憶"は忘れるもので、消えるものではないから。
しかし、"存在を隠して忘れさせる"必要があったのだろう。
『小さな棺』…つまり未成熟のまま葬った、あの半身は辺獄でいつまでも幸せに踊っているのかもしれない。

まとめ

このアルバムのテーマは『世界の終わりのその先』だ。そして『また朝が来たような気持ちになれて気に入っています』とTwitterでコメントされている。

《君の名前で僕を呼んで》では、ラストシーンは、季節が巡れば再び緑が芽吹くように、エリオが新たな恋に出会う可能性も示唆しているようにも感じられる。

影法師が失われた半身だったのかはわからない。
その答えに辿り着くには、きっと長い時間とたくさんの経験が必要だから。これはたくさんの出会いひとつであり成長の物語ではないだろうか。
しかしどちらにしても、「わたし」にとって「in bloom」が幸福なものであることを心から祈って筆を置く。


おまけ

平安時代の貴族は和歌のやりとりによって気持ちを伝えたり気を惹いたりして、お互いの気持ちを確認し、男性は夜になると女性の家にそっと忍び込みました。この夜這いが逢瀬と呼ばれるもので、3度逢瀬を重ねると結婚するという風習があったのです。当時は一夫多妻制だったので、次から次へと結婚するケースは珍しくありませんでした。

当時の文学や随筆からはそうした平安時代の恋愛事情が伝わってきます。逢瀬がモチーフのひとつとして数多く登場しているのです。ただし直接的な表現ではなくて、ほのめかす表現が多く見られる傾向がありました。

例えば、夜明けの描写、早朝の鳥の鳴き声の描写などから逢瀬の最中であることがわかるといった書き方がされていたのです。

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